Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

方舟航海もあと二年。

今日は何気なく「乙女座」の話をしていたら、そう言えば昨日23日からは乙女座の時節なのか・・

私は月星座が乙女座で。そして乙女座には「研究・勉強好きな修道女」のイメージがある。男性であっても、分野が違っても・・たとえば「探求熱心な僧侶」でもいいと思う。つまり純粋性と、探究心、そして奉仕が一緒になっているイメージ。月の星座は過去生だとも言うけれど、確かにとてもそんな気はする。

ずっと以前、ネット上で知り合った占星術系の方が、「女性の場合は月との関係、陰のエネルギーの作用から、他者から見ると月の星座の印象で見られるのではないか」という仮説を聞いた・・そしてこれもきっとそうだ、と思っている。周囲の人、身内も含めて、少し距離のある「他者」から受ける印象は月の星座的な評価で、自分の自己イメージとのギャップがあるよう。

 

他者から見える、というだけでなく、やっぱり自分の中でも太陽、月、に限らず。さまざまな要素があると思う。それをいかに情報を収集しながら、統合していくか。今は特にそれが重要な時だと感じる。アルガンザのグループでは、アリス・ベイリー著書が伝える2025年、第四光線の顕現・・に、注目し、「時代の変わり目」という意味で意識を置いている。

けれども、私の感覚では、新しい時代=よりスピリチュアルが高まる ものだとずっと思って来たものの、なにかこう、まったりとした怠惰な空気感で、今まで立てることができていた知性のアンテナも、立てにくくなっているような空気感を感じる。街を覆うエネルギー、集合意識に漂う雰囲気も。

それで、今朝は一般の人々が、地球の変化や気候変動などにどれほど危機感や意識を向けているのか、を、人に聞いていたりした。私の周囲、日々顔を合わせる人々はもちろん一般の人々ではあるけれど、スピか、半スピ・・少なくとも私の話を聞き慣れていて普通に聞いてくれる人々だから。

それと、どうも気になっているのが、目が「どよん」とか「とろん」としている人が多い。今は夏の暑さもあるけど、それだけでではなく。ここ数年レベルで。

 

・・と、「第四光線」のイメージがどうもまだうまく掴めないので、改めて調べてみた。色は黄色だそうだ。なるほど。世界がなんとなく黄色に包まれている感じはしている。

そして日本は国単位の「パーソナリティ光線」が、第四光線・・なのかな? なるほど。日本は黄色だ、確かに。

テーマは、調和、統合・・・ けれども、その為に厳しめの修行や浄化が起きるというのを踏まえると、これまでのスピリチュアルな「常識」もちょっと脇において、感じて考えていかねばと今更に思う。

う〜ん。改めて調べた結果、やっぱりよく分からなくなってしまった。今漂っている雰囲気も含めて。

 

でも思うのは、自分自身は2018年になぜか「コロナ」的なテーマを超えていて、10年来風邪も引いていなかったのに、呼吸器系にこじらせる風邪を一年のうち3回も引いて長引き(その後、2019年以後は普段の自分通りまったく風邪も引いていない)、2019~2021年も「試練の時」というという感じだったけど、2022年から着々と、「なにか」から抜けつつある。石井ゆかりさんの本から「方舟の七年」の話を前に書いたけれど、


2018年5月から始まったというそのサイクル、(もしU字型の変容期をイメージするならば)真ん中の谷間を抜けるのは2022年の春、というイメージ。私自身の体感としては、確かにそこで「白い聖堂」が始まり、前半期(2018年明け早々からの混乱期)に比べれば、その頃(2022年春)に現象化していた問題たちは解決していって、確かに次の時代に向けてというテーマが自分の中に今は自然にある。

光線の到来、顕現といってもそれに対する反応は恐らくかなり個人差がある。社会全体などはきっと、顕現すると言われている25年以後、具体的な影響を受けていくのだろうけれども、私のような仕事をしていると恐らく「その後」の時代感覚のようなものが今、(変容期を経て)自分の中で動き出しているように感じる。統合、調和がやはり目下のテーマだ。

 

「黄色」という色で表現されたりイメージされてきた、(戦隊モノの黄色担当も・笑)「欲」「自我(エゴ」「怠惰」など、人類をダメにしてきたネガティブなほうの要素を、人類が克服していく時代、と、捉えたらいいのかな。ということは、黄色の良いイメージは、ポジティブさ、陽気さ、目標意識、という感じ。

もっと言えば、人類のエゴセルフそのものが、欲や利己を乗り越えていかなくてはいけない時代。そのテストがうまくいかなかったら、人類は滅びる。滅ぼされる、くらいの時代がこれから来るのだろう。「第四光線の顕現」はつまり、シャンバラからのテストだ。甘やかせるために光線を提供するわけではもちろんなく。

(2024年現在また少し違った見解ですが、折々で改めて書いていきます)

神智学の、「地球全体の歴史を見る、感じる」視点は、やはり必要だ。その層で考えていないと、人間とはなぜ存在するか、人の歴史や社会とはなにか、その中で「今」の位置付けなどは、到底、想像ができないだろう。その視点で物事を日常的に考えている、各分野のアカデミズムの先生方、などの考えや著作に触れているから、「こんな呑気な感じでいいの?」と、感じてしまう。(←けれどいつの世も多分、一般社会とはそんな風なのだろうとも思う。だから、突然「その時」が来てしまう。本当は全然、突然なんかではない。)それが(上に書いた)今朝の会話にも通じる。

とにかくは、発信しつづけることだ。そして、一緒に発信してくれる仲間たちを、作っていくこと。

 

Love and Grace