Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

ロスト・エモーション

縄文期と縄文の森

リドリー・スコット(監督)の名前につられるように、映画『ロストエモーション』を見た。核戦争で地球が壊滅状態になったあとの、生存者たちによるハイテク管理社会。遺伝子操作で感情を持たない新たな人類が生きていて、感情を「発症」すると病気として治療を受けるという。重症になれば隔離されて安楽死、という何とも悲しい設定。

リドリー・スコット監督は、以前日本の大林宣彦監督もそうであったように、監督その人の雰囲気や人柄が好きでファンになり、作品も見るというシリーズで。今回は制作総指揮で、プロデューサーになるのかな。監督は別の監督で、原作も手掛けているよう。独特の演出は未来のハイテク管理社会の機械的な雰囲気を出しているのだろうけど、青白く、影の多い暗い映像、静かすぎる、そしてどこか切なすぎる空気感に負けて、長時間見られず。

数回に分けてようやく見終えたところ。こういう見ていて切な苦しい映画はきっと、最後まで見ると救われるのかなという予感もしていた通り、まずまず爽やか。でもやっぱり切ない終盤。

  

 

日頃、神智学やヨーガ思想から、「感情を収めて」と繰り返し言っているので、常々、心配していることでもある。誤解されがちな事なので。

けれど結論として、この映画の予告編の「ユートピア?それともディストピア?」という問いかけは、当然、ディストピアでしょうと言いたい。もちろん・・

ヨーガの実践者、先生方なども、アリス・ベイリーの代弁者の方々もそうだろうと思う。感情を超えていくプロセスこそが、人間の成長、人類や社会の進化と平和に向かっていくために大事なことなので。感情をバッサリと切り落としたら、ヒトの中の本能のような部分が、支障を来たすに違いない。遺伝子操作、人間を作った「神々」がこれをいつか行ったとしても、人間それ自体が行うこと、引いてはそのようなテクノロジーの使い方をしてしまう事自体、きっと道を外れてしまうのだろうと・・個人的には思ふ。

 

若いころ、自分の中の苦しみや、収集のつかない部分の要因を探っていった結果として、「感情を超越できるなら生きているうちにそうなりたい」と呟いた私に、友人がやや怒りまじりに反論して来た。「感情が無かったら人間じゃないでしょう」と。

更には、同僚の女子たちとの恋愛観トークで「人間として、ではなく魂として自分を必要とする人」と答えると「人間としてではなくって何よ」と一人が怒りだした(笑)。

また、フランス人的な冷静な客観的語りで相手が傷つかないよう別れ話などしていると相手は「血は流れているのか、植物人間じゃないの?」みたいなことを言って来たっけ(笑)。

 

それらの全てが「誤解」なんだけど、伝わらないからいつも諦めてしまう。人間性として人以上に人情的だったりするところ、だからこその「感情を超えたい」という発言も、相手を極力傷つけないための客観的な態度も、それぞれ聞く人々のエゴセルフのフィルターを介すと、その人の思い通りにならなければ『冷たい人』になってしまう。

詳しくは、先日紹介したエイミー・アダムス関連の映画のメインブログの記事(「アライバル」で大泣きした、という部分)と繋げて読んでいただくと、ご理解いただけるかも?

そう、それから、スクールをやっていた時にも生徒さんたちの反応も時折、怒りのようなものが垣間見えるのが、やはり神智学の感情についての部分、それから闇、ダークサイドの話。なぜか怒りを感じて反発したくなる様子を何度か見かけた。人間って、というよりエゴセルフって、そういう風に出来ている。進化と逆行するエネルギー、プログラムが、仕掛けられているからだ。。

 

それを全て味わい尽くして、時に許して、解き放って、その仕組みに人生をコントロールされないように、カルマ(常に感情が関係)を乗り越えていく。感情についても、その他、エゴセルフの「魂の内部に統合されたりしたくない」という声についても同じ。

 

感情の揺らぎや反応は、そこ、その部分にこそ、自分のカルマや問題点の根っこがあるよと教えるサインでもある。だから急にブツっと消されたら、それこそ神智学的な神なる世界(人類の親)の進化プログラムは元もこもなくなってしまう。可愛い子には旅をさせよ、と、自由意志を許して見守っている視点、ガイアという魂たちの成長プロジェクトの計画が、為されなくなる。

この映画については、原作者でもある監督は、無神論者であるのかな? 人間の背後や周辺には、人間しか居ない、という思想でないと、こういうストーリーは生まれないかも。。

 

ネイティブアメリカンケルト、縄文・・つまり世界中の石器時代までの人々は、循環する生命の仕組みとその背後の力を知っていたし、そこと自分たちとの間にはしっかりと一体感があった。やはりその感覚を思い出していく他、ないのではないかと思う。「仏教では」「インド思想では」「神智学では」と切り出すと、宗教だと言われて(また誤解されて)しまいそうだから・・。

アニミズム(自然崇拝)と、仏教(インド思想・輪廻転生する宇宙観=これはきっと正しい)的感性を、ナチュラルに合わせ持っている日本人はやはり重要な立場にある。

 

今日もまたひとつ、あるいはそれ以上、地球の未来のためになることをしよう。毎日必ず、そのことを考えよう。そして何か行動しよう。小さなことでも。

 

Love and Grace

Amari