Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

『Arrival』『Big Eyes』から考える「孤独」と「共依存」

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以前から憧れていた「男気のある」「東洋好きなイギリス人の」??書斎風の仕事部屋を目指している(笑)、移転後のアルガンザの八王子オフィス。理想に近づくにはまだまだ重厚感が足りないけれど、この冬は本棚を増やして、さらに書斎らしさを出したいところ。以前のオフィス「ブルーム」からのイギリス製のブックケース(写真)は、神智学系の書籍と、これまでのアルガンザの記録、歴代カレッジのテキストなどを収めて。

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7月に、リリースされたDVDで映画『ARRIVAL』(邦題は『メッセージ』)を見て、すぐにここで記事を書こうかなと思ったまま、なんと5ヶ月。7年弱営んだ横浜のサロンを閉めるにあたってのキッカケの波が、ちょうど7月には来始めていて、淡々と、ではあったけれどそういえば、思想的に何かを噛みしめるゆとりの無い、この5ヶ月だったのかもしれない。現実世界とエネルギー次元とで、日々を創造したり、波乗りしたり、切り抜けたり、考えて行動して、終えて、また次・・という具合に。ただ、思えば「時間」をテーマにしているこの映画を鑑賞して後味が強く残った7月からの日々は、自分自身の「時間」のテーマに向かっていたのかもしれず、なにか連動するものも感じられる。

さて、この作品は「時間」と「意識」を主題にしている。アカデミー賞の作品賞・監督賞などを取っているそうなので、見た人も多いと思うが・・自分なりに紹介したいと思う。フランス系カナダ人のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品。巨大な卵型の岩の塊のような宇宙船が世界各地に飛来。その主である知的生命体を研究チームは「ヘプタポッド」(7本指)と名付けた。ヒトデのような巨大な触手に7本の指、壁のように立ちはだかる数メートルサイズ、つるんと頭だけがあるような姿をしたエイリアン。足や、首や、顔のパーツなどはなさそうで、ヒューマノイドと言えるのかどうか。。

世界12箇所のうち、アメリカは長閑なモンタナ州にUFOが来ていた。軍事基地さながらの現地のキャンプには、CIAや軍の男性たちが行き交う。そんな「現場」に呼び出されたのが、女性言語学者のルイーズ。エイミー・アダムズが演じている女性博士ルイーズは、学者らしく理性的でクールな大学教師という風情で登場する。ニュースを聞いて大学のキャンパスが若干パニックになっていても、ひとりでかなり落ち着いている。翌日も、普通に大学に出勤しているというマイペースな様子に、凡人とは違う突き抜けた知識人としての人間性を、映画の冒頭で示される。

結論に先に飛ぶと・・・宇宙人たちは地球人に対して、「武器を与えにやってきた」。その武器とは、「人類を助けるため」の武器であり、「未来を開く」もの。何かというと、このヘプタポッドたちの「言語」がその武器であり、与えられたものは彼らと同じように時間を直線的なものではないように考え、感じるという「高い意識」を得られるという。それが、宇宙人たちからの「メッセージ」であり、地球に到来した理由だった。

さらに奥にある背景として、彼らの言語を解読しコミュニケーションがとれるようになったルイーズにエイリアンの一人は「3000年後に人類の助けが必要」だから・・(人類を助けておくのだ)と、伝えて来た。ということは、彼らが与える「武器」=多次元的にものを見れる意識 がなければ、人類は分裂して争い、3000年後に存在していないという未来を、彼らの非直線的な時間感覚が捉えているから、という事なのだろう。

言語コミュニケーションがとれない宇宙人を相手に、ルイーズは言語学者として、彼らに自分たちの言葉を教えることから始める、という手法を取った。それが功を奏した訳だが、彼らから戻って来るのは巨大なヒトデのような触手の中心から吐き出されるスミ?が空間に繰り出す、筆で描いたような表意文字(ロゴグラム)で、言葉を話すことでのコミュニケーションは成立しない。

けれど、例えば日本人と中国人が漢字の筆談でコミュニケート出来るのと似ているが、彼らの表意文字がパーツごとに何を意味しているかを解析・解読し、各国が連携しながら研究を進めるうちに「会話」が成り立つようになっていく。

この、中国風?の書で描いたマルをモチーフにしたような独特のロゴグラムこそが、彼らの言語が直線的、つまり時系列に左から右へ、上から下へ読むのではないという、多次元意識の表れと言えるだろう。映画の中でも触れられていたが「サピア=ウオーフ仮説」という学説(「言語相対性仮説」)があり、人間の思考(脳)は話す言語によって形成される、という。・・これは体感として理解できる。英語圏に行って英語で話すことに慣れて来ると、明らかに日本に居る自分とは人格が変わるものだ。エイリアンの多次元的な言語を授けられれば、人類の意識が多次元性を搭載するようになる、ということ。

ルイーズは最前線で、彼らと交流していることから、文字だけではなく時にテレパシーや、エネルギーの波長のようなものも受け取っている。ゆえに映画が進行していくにつれて、過去のフラッシュバックを見るように、切れ切れに未来を見るようになっていく。その現場で同じく解読にあたっている数学者のイアンと結婚し娘をもうけ、しかし恐らく二人とも宇宙船内部で防護服を脱いで宇宙人に向かっていたせいだろう、生まれた娘は十代で(恐らく被曝による)癌で夭折しているという未来。そのプロセスで夫は娘の病気が原因で去っていくという未来も。

混乱しながらも、なんとか彼らと人類の間を取り継ごうとするが、「武器を与える」という地球に来た目的を誤解した地球人たちは、地球人同士を分裂させて争わせ、地球を征服しようとしていると判断。各国でUFOへの武力行使を宣言する動きへ。

具体的な方法は割愛するけれど、ルイーズが、自らに起こり始めていたその「未来を覗く」という方法で、他国の武力行使を止め、世界をひとつにすることに成功する。

一年半後の近い未来に、『ユニバーサル(宇宙的)言語』という研究書を出版し、解読したヘプタポッドのロゴグラムについての研究を発表するらしい。本の冒頭には、その時すでに生まれているのか、更に未来に生まれる事がわかっているからか、「ハンナ(娘の名前)に捧ぐ」と書かれている。人類の意識を拓くために、言語を与えに来たエイリアンたちは、世界12箇所は何か理由があってチョイスしたに違いないが、人類の中で一人でも、彼らの意図を誤解せずに受け止め、更にそれを読み解き、人類に伝える者を探していたのだろうと思う。

映画の途中では、軍人たちやマスコミ、世間が騒ぎ出し、恐れをなした若い軍人が単独でUFOに攻撃したり、中国の首席は彼らを征服者とみなしいち早く軍事行動に出ようとする。男性研究者でも現場での仕事に耐えきれず倒れたり、世界中の人間たちが「恐れ」からの思い込み・誤解で高次からの彼らのメッセージを無駄にしようとする中で、なぜ、ルイーズは彼らに対応できたのか。なぜ、ルイーズなら大丈夫だったのだろう・・という点を、考えながら見ていた。

女性だったから・・とも言えるかもしれない。ただ、普通の女性ではもちろんダメだ。並の男性たちよりも精神が強く落ち着いていて、理性的で、知性が深く・・・それでいて、女性的な感性と母性を使い、未知の宇宙人であっても、言語学者として未開の民族に対峙してきた時と同じように、相手に近づこうとハートで動いた。宇宙船の中で防護服を脱ぐという行為も、駆られるようにやっていて、後のこと、自らの身の安全のことなど考えていない。徹底した研究者・専門家意識と、男性性の美点、女性性の美点を兼ね備えた人であると言える。

この映画の最後の10分は、理由も分からず嗚咽するほど泣き通して見ていた私だったが、その理由についてもしばらく考えさせられた。

ルイーズの手腕で、中国軍のUFOへの攻撃をなんとか止める事が出来たが、UFOも地球から一斉に離陸し始め、地上でも、現場の基地を撤収するため全員が引き揚げるという流れの中で、ルイーズはますます鮮明に、これから生まれる愛くるしい娘の姿、成長していく中でのたくさんの思い出、そして別れ・・・の場面を見ている。

そこに、娘の父親となるイアンが横から言葉をかける。

「(学者として)ずっと宇宙に憧れて来たけど、ここでの一番の出会いは彼らじゃない。君だよ。」「子供を作ろうか。」

つまりプロポーズする訳だけど、そこでまたルイーズの頭の中では、娘ハンナの生い立ちが早まわしで流れる。たくさんの、喜びに溢れた親子・家族の場面だった。そこでルイーズは答える。「Yes」

映画の冒頭も、最後も、ルイーズの、娘ハンナにあてた言葉で始まり、終わる。この映画自体が、時間軸を超えたような作りにもなっている。最後まで見るとやっと、冒頭でのナレーションの意味が理解できる。

なぜ、初めてこの映画を見た時に、あれほど泣けたのだろう?

自己分析して思ったのは、ルイーズはやはり並みの人ではなく、それゆえに体験した彼らとのコミュニケーションを通じて、さらに一人、神のような視点を持つという孤独に立った。知性と母性で、娘に語りかける言葉は人を超えた領域からの呟きのようにも聞こえる。夫イアンは、恐らく未来のどこかで、娘が病気になるという話をルイーズから聞かされて、耐えきれずに離婚をする。・・ルイーズは、「基地」ですでに全てを見ていながら、イアンと結婚し娘をもうけ、成長を見つめ、そして見送るという覚悟を決めて、プロポーズを受けている。

そんな、ルイーズの非凡な心の強さが、私は哀しかったのだろうと、気づいた。

どこまで行っても孤独。

そして時に、非難される。夫イアンはきっと、彼女の強さに反発を覚えたのだろう。こんな悲しい事、自分は耐えられない。そう思って、ルイーズと娘との家庭から逃げたのだろうし、ルイーズを「こうと分かっていながら子供を作るなんて」と責めたのだろうと想像される。その辺りは映画では描かれないが、きっとそうなのだろう。

揺らぐこの世界では、常に感情の誘惑がやってくる。最初にUFOが来たとニュースで聞いてパニックになる人、学者として基地に向かいながらも仕事できずに倒れていく人、宇宙人を前にして怯んでしまう軍人、心配する妻のために基地から逃げ出したい人、そして征服されるのを恐れて攻撃しようと決める国家元首。・・そんな人々の「恐れる姿」が横行する中、ルイーズは淡々と仕事を続ける。この任務においてはルイーズのよき相棒、理解者であったイアンも、彼女が成し遂げた更なる女性としての強さ(死すべき命だと知りながら子供を産んだこと)には、同調できずに脱落していった。

そして「残る」のは、いつも、どこまでも強いルイーズ一人だった。夭折する娘を一人、病院で見送る彼女。知っていたとは言え、哀しくない訳ではない。それを一人で受け止めていく。感情が無いわけではない。ただ、そこに落ちないでい続けることが出来る人の強さは、時に、多くの感情に揺らぐ人々の目には、冷たい人や理解できない人として映るものだ。しかし真実はそうではない。誰よりも愛、本物の愛が深いからこそ、感情に動かされない善なる選択をしていく。流されずに壁を乗り越えたというのに、むしろ非難され誤解される。・・・そんな事も承知、そこで傷つくこともない高い知性と理性、母性。

そんな彼女の姿に、淡々とした映画の語りに、泣けたのだと分かった。非凡な心の強さ、善の強さを持つ人々の人生に、よく現れるモチーフであるし、英雄的な人々の意識であり、時にそれは人間社会において犠牲となり得る。それでもこういう人々は、何度生まれ変わっても同じようにするのだということも感じる。それは菩薩道であり、完全に感情的な幻想世界を超えている精神だと言える。

もうひとつ・・映画の後味として考えたことは、

そんなルイーズだったからこそ、彼らの「言語」を受け取り、変容が起こるもそれを自らの中に統合できたのであって、もし、そんな風に未来が切れ切れに見えるという変化が、他の人々に起きたとしても、ただ混乱してむしろ、壊れていくのではないだろうか。彼女が出版した本が、それゆえに最後に少し気になった。。特定の周波数を持つ人じゃないと、変化変容が起きない、という仕組みがあの言語にコード化されているほうが、安全だろうな、と。 

映像も非常に美しいので、予告編も宜しければぜひ見てみて・・但し、やはりよくあるように、予告編の作り方がちょっと・・本来の作品の持つ味やテーマから外れている気はする。邦題の「メッセージ」も同じく残念な感じがする。

今回もエイミー・アダムスの演技力に深く引き込まれた訳だけれど、我が家には彼女の主演作・助演作がいくつかある。

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左から、彼女の出世作と言えるディズニーの半実写半アニメ作品『魔法にかけられて』、実話の映画化・メリル・ストリープと見事に演じ合った『ジュリー&ジュリア』、同じくメリル・ストリープ他演技派4名の密室劇の一役を担った『ダウト』。

このうち、『魔法にかけられて』と『ジュリー&ジュリア』は過去にもブログで取り上げたことがある。『ダウト』はアルガンザのマスタークラス「星巫女プロ専科」の映画分析で題材にしたことも。他にも話題作に続々と出演しているエイミー。最初に彼女を見た『魔法にかけられて』のプリンセス役は本当に素敵だった・・まさにディズニー・プリンセス、の風情を楽しく可愛く演じていて。。ディズニーの中では最高レベルの映画ではないかと個人的には評価。二次元と三次元を足して五次元、みたいな奥深さも感じる。意識の持ちようでどんな世界でもファンタジー・・という、ディズニーの精神が教科書のように分かりやすい。

エイミーの演じる女性は心の清らかさ、純粋さが際立つものが多い。そこに『Arrival』では徹底した知性・理性が加わっている感じ。制作側にとってルイーズ役の第一候補はダメ元でエイミーだったとか。本人は育児に専念しようと思っていたところにオファーが来て、脚本を読んで了解したと語っている。これまで見た彼女の主演作品の中で一番、英雄的なキャラクターと思う。『ジュリー&ジュリア』はメリル・ストリープのいつもながらの存在感、演技力も素晴らしく、おすすめの作品だ。

これを機に・・と、さらにもうひとつ彼女の主演映画を見てみた先日。

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『ビッグアイズ』。60年代アメリカでブームになったという「ビッグアイズ」と呼ばれた絵画。その作者であるウオルター・キーンは人気を博す、が、実はその絵を描いていたのは妻だったという実話に基づく映画。営業力と口のうまさで絵を売り込み出世していく夫は享楽的な生活をし、妻は我が子にすら秘密で部屋に閉じこもり絵を描き続ける。そんないびつな生活が10年続くうちに、すっかり「もうかって」豪邸に住むほどになっていた。

内気で夫の言いなりに、日陰の存在として描きつづける妻マーガレット。連れ子だった娘とともにハワイへ逃亡し、そこで(きっと実話なのでしょう)「エホバの証人」の信仰者たちに出会い、夫に奪われていた自分の力と尊厳を取り戻していく。カルト教団に洗脳された人々が、キリスト教の聖職者の方のサポートを受けてリハビリしていくという話がよくあるが、それと似ているなと思った。実際、夫による人権侵害を許していたのだから、洗脳と同じような仕組みが起きていたのだろう。

ネットで見たレビューの中に、「監督はマーガレットよりも、人としてどうしようもないダメな夫であるウオルターに愛の眼差しを持っているのでは」と言っている人もいたが、私はそうは感じなかった。が、ティム・バートン監督なので、真意は読みにくいが。。。

きっとこういう話って、女性の権利が弱かった時代にはたくさんあっただろう。これからは男女関係なくなるかもしれないが。おかしいな、と相手のやり方に本能的に不信感を抱くことがあっても、特に夫婦であると、生理学的にも女性にとっては、男性のアストラルエネルギーには負かされてしまうことも多い。出力の強さから言って、アストラル体の力はやはり、女性よりは男性、そして感情的な人ほど強いものだ。社会的に女性が弱い立場であればなおさらに。

とは言え、「Arrival」のルイーズのように、アストラルよりもメンタルフォースで生きているような女性ならば、搾取されるようなことにはならない訳だけれど、この大きな瞳のこどもたちは、マーガレット自身のインナーチャイルドなのだろうなと思われるから、恐らく、「強い力によって抑圧される自分」という型を持っていたための、共依存的な夫婦関係だったのだろうと思う。

最後、連れ子である娘が年頃になり、大人の女性二人として手をとりあい、夫から逃げてハワイへ。そして法廷で勝利するという流れに、マーガレットに感情移入する人々はホっとするし、爽やかに見終えることが出来るだろう。他者から見れば、なぜ10年も夫のいいなりになっていたのか?と思ってしまうけれど、人間同士の関係はほとんど全てが共依存であり、自分の中の弱さの投影に、強者としてそれを支配する人を必要としたりする。自分なんて価値がないと思い込んでしまうと、何か少しでも自分をとりたててくれる人の存在を、(実は搾取されているにも拘らず)ありがたく思ってしまったり・・・人間模様は様々だ。

誰もがルイーズのように自己完結していない。

が、自己完結するということは、共依存の投影が要らないのだから、神のような永遠の孤独の中に座することになる。

しかし、孤独 aloneness と寂しさ lonlyness は違う。aloneness は独尊に通じる。他者によって自分を満たす必要が無いという状態からしか、ワンネスや覚醒やニルヴァーナは生まれない。そこに近道はなく、創造主のような孤独の疑似体験に身を浸すからこそ、多次元意識が拓けていく。そうなると、世界の主としてたった一人で現実界を創造している自分の中に、すでに全ての生命や現象があり、その中の全てに同じ意識が宿ることが、体験として理解される。「孤独」の意味もなくなる。

最後に、

『Arrival』に関してもうひとつだけ。

未来を見る・・と言っても、固定された未来は無いと個人的には考える。ゆえに、未来の様々な可能性が見える、という解釈で映画を見ていればいいのかな。様々な可能性の未来が生まれては消えていくのは、今この場で、何を選択するかで未来が変わり続けるからだ。そうなると、やはり、未来から現在を見るのではなく、現在から未来を作る、という感覚のほうが自分の中では自然だ。もしかするとそこは、監督ないし原作者と、思想的に違っているのかもしれないと感じた。

決まっている未来は無い。

だからこそ、常に、出会いたい未来に向けて「今」の生き様、「今」のエネルギーを作っていよう・・というほうが、自分としてはより重要な「メッセージ」だと考える。

Love and Grace,

良いお年を。

窓のないモナド・インドラの網

 

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(私物)ドラゴングラスと私は呼んでいたもの。今では違う名前で他の方が扱っているけれど、2009年だったか、ある石が欲しくて探し回り、英語サイトを探して探して・・とやっているうちに見つけたアメリカ人女性のショップ。日本人初の小売店として彼女から卸してもらっていた石たちは、独特の活気があって素敵だった。

私のほうでは周波数帯のような部分で時期が終わったかなと感じて、取り扱いを辞めたけど・・ちょうど時を同じくして、私のサイトで見たのをキッカケに日本の方が彼女を探し当てたとのことで、日本には引き続き入る道が出来た。

この「グラス」ではないが、カレッジでも教材として毎年使っていたので、うちの生徒さんたちが毎年、そちらのショップにその時期になると買いに行くという現象が続いた(笑)。そんな風に、当人たちは無意識でも、常に必要なことは移り変わり引き継がれ、この世界に途切れることなく、別次元からの波長が届くようになっている。

そのアメリカの方が、ドラゴンシリーズの販売をスタートし始めたまさにその時を見ていたので、なにしろ初期の初期。こちらのグラスもリュミエールやブログから販売しつつ、「社長特権」で自分用に取り置いたのは、なかなか大きくて、美人たちなのである。今、身辺整理のモードに入っていて、リュミエールではビーズのストックからのブレス群につづき、私物や、最後の石巫女での登場を終えたサロンの石たちを、Amari's コレクション、略して「Aコレ」として、出し始めたところだけど・・・・・

このグラスたちは、今のところは・・・・売りませんっっ(笑) 最小限、記念になるものは残しておかねば。。

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華厳経(けごんきょう)はモナドロジー、ライプニッツだ」と教わって、こわごわとライプニッツ、「モナドロジー」を覗いてみた。法華経とは違い、確かに華厳経は何か冴えたビビっと刺さるようなものがある。法華経が女性的なブッディ・モードだとすると、華厳思想は男性的なアートマだろうか。量子物理学と華厳哲学の一致に、知的な人々も注目しているらしい。

法華経は「この法華経って本っ当にすごいんだから。ねえ、試してみて。ぜったい凄いから。。」と言い続けているような内容。一方で華厳は、世界観をぐぐっと全宇宙に広げて、盧舎那仏アートマンブラフマンつまり宇宙の源という説もある)という究極の如来(仏)を世界の中心に据えつつ、最小の微粒子の中にもその仏国土が無数に入っているのだ・・とか、大と小という対象も、全と一という対象も、有と無、有限と無限など、あらゆる相反するものが、本来はすべて矛盾しないと説く。「あらゆる矛盾律の超越」という一大テーマを掲げる。

時間の過去も未来も無い、とさえ言う。すべてのものが、関わりあい、干渉し合いながら存在している。が、主体と客体など無く、互いは溶け合い、含みあっている、という。まさに、量子物理学で分かって来ている宇宙や万物の仕組みを語っているかのよう。それはインド哲学という、そもそもの秀でた哲学的伝統を受けているから、でもあるけれど。華厳思想という形で新たに整理されたことにより、宇宙のフラクタル構造がヴィジュアル化され、密教曼荼羅宇宙はここから派生していった。

民衆化・一般化されることでバラエティに富む楽しい世界になっていったような密教の印象に比べて、華厳宗はハイソな貴族的僧侶であった哲学者たちの領域として、守られたイメージがある。日本での総本山はなにしろ奈良の東大寺である。民衆化することなく、学問寺であった。今でも、檀家や信者などが存在しないため、拝観料で維持されているという独特の存在感。(東大寺は昔から好きで仕方ない。。また別の機会に書こうと思う)

そうそう、モナドロジー。神智学で採用された「モナド」は、ニューエイジでも継承され、私たちの魂のもっとも原初的な、創造主から分岐した「個」を表す言葉になっている。もともとは哲学用語で「単子」、ギリシャ語の「モナス」「モノス」に由来する。このモナドは、二つとして同じものはない。そして全てが内的に作用し、外部からの影響を受けることはない、という。ライプニッツは「窓のないモナド」と表現していて、つまり(右脳な私が物凄く飛躍的に解釈するに)他者によって何かされてこうなる、というような因果律ではなく、すべて、モナド自身が外部の世界を生み出している、という意味。。?

その理論(モナドロジー)が、華厳経で繰り返し出てくる「すべてが繋がりあっている」「心(意識)が世界を生み出している」に通じるという。窓がないから、モナドのレベルだと互いに外的に影響を与えるということはない。しかし、全てのモナドは響き合い、互いの情報を内包しあっているという。まさに量子物理学。

そんな、モナドロジーな華厳思想はしばしば、「インドラの網」に喩えられる。インドの神様インドラは、日本で言う帝釈天のこと。そのインドラ神をまつった寺院(神殿)に飾られる装飾の網のようなものであると言う。画像を検索して見てみると、同じパーツが無数に、網のような装飾でつながっている、天井から吊り下げるような、金属の暖簾(のれん)のようなもの。

ヴィジュアル派としては、モナドロジー=華厳思想を、このインドラ網をじっと見ることで理解しようと試みた。

すべての単一存在が、繋がりあっている。これはワンネス思想でおなじみ。もちろんアニミズム(自然崇拝)においても。

けれど、外的な影響を与え合うことはない。全てが内部で起きる。そして、合わせ鏡のようなインドラ網のようなフラクタル構造が、その、全てで起きたことを互いに記録し、含有し、ともに微細な変化を常に受け取っていく。

外的な影響を互いに与え合うと思い込んでいるのは、この物質界、三次元だ。けれどそうではないという、インドラ網のネットワークですべての情報も過去も未来も共有し含み合い、一斉に変化を伝播させていくというのは、魂の世界。あるいは量子物理学で見えてきた宇宙のエネルギー領域。

外部からの影響や相互作用など、本来は存在しない。幻想である。個々の意識、モナドが個性を帯びた情報から、外部に映し出している世界。その投影された現象・幻影同士が、影響を(エネルギー次元まで)刻むことで結果が現れるのではない。個の中で起きた変化が、映し出される世界の映像を、変えていく。。。そして個に起きた変化は、ほかのモナドすべてにも情報として内包されていくのだ。

ニューエイジスピリチュアリティでも、よく言われることでもある。

そして、華厳哲学の真髄は、毛穴の中に宇宙がいくつも展開される、というような矛盾律の超越であり、それを理解できないと、他者を悟りに導くことは出来ないという。そもそもが、幻影である世界の想念に取り込まれていると、魂の回帰への道は前に進まない。堂々巡り。私たち人間の意識・心がそもそも幻影的に動くメカニズムなのだから、宇宙のエネルギー法則が矛盾しているように「見えてしまう」。

三次元の幻影的な思考メカニズムで、「矛盾してるじゃない」と決めつけてジャッジしてしまう。エネルギー視点で三次元を生きていこうとすると、幻影の枠の中で思考する世界の内では、しばしば路頭に迷う。天才の中の天才と言われたライプニッツも、晩年は寂しく苦しい人生であったという。それでも、天才たちはまた、降りて来てくれる。これを仏教的には、「菩薩道」というのだろう。

一切衆生(すべての人間、すべてのソウル)がこの次元の幻想世界から抜け出せるまで、人間界に生まれたり、インスピレーションを与えたり、なんらかの「任務」についたりして、菩薩「ボーディサットヴァ」たちは諦めることなく働いているという。華厳経でも、他の大乗仏教と同じく菩薩行に重点が置かれ、菩薩たち(つまりライトワーカーだ)のやるべきこと、なされるべき修行や境地について、提示している。そこが(具体的なメソッドが提示されない)法華経とは違う点で。女性や就学の機会の無い民衆向けの法華経、知識人や学者向けの華厳経、という感じで発生したのかもしれない。。

宮澤賢治が「インドラの網」という物語を書いているそうだ。ちなみに彼は法華経信者だったが。。

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人間の脳のつくりは、様々な分類を好む。そうでないと、この複雑で行きにくい物質界ではやっていけなかった故の、進化というか、退化というか。

矛盾律の超越・・・は、実は個人的にはいちばん、人間としてやってきて(?)他者との、つまり三次元的思考メカニズムとの共存の難しさを感じる点だった。つまり自分は超越OKというか、最初からそのフィルターが無いというか、過去生で大乗仏教インド哲学を修行していたのかもしれない。

エネルギー次元をベースにして魂システムと連動して感覚する、行動する、発言する、そこからズレたくない、を貫くと・・(他者の・世間の)三次元思考と感情の波に揉まれてしまうことになる。けれど、そうそう。これが菩薩道なのだと。。分かっているからまたやってしまう。ずっとそれでやっていく。

アルガンザのヒーラーズカレッジのテキスト冒頭で、フリーエネルギー研究家の飯島秀行先生の言葉を紹介している。

「自分は人間なのだ、と思っている人から、知恵は出ない」

知識とは物質だけれど、知恵は宇宙エネルギーである。アリス・ベイリー著でも、チベットマスターのジュワル・クールが同じことを言っている。

ヒーラーとして、「ライトワーカー」と自認・受容し活動してきて、同じフィールドにいる、あるいは目指している筈の人々でも、ほとんどが、自分が「人間である」と思っていることに、いつも不思議な驚きや時に失望を味わってきた。そのようなフィールドを学ぶ人、そこで仕事をする人は、飯島先生の言う「人間である」と思っていては、宇宙エネルギーの扱い手として機能しない、と思う。本当に。「魂である」=宇宙存在である、と自認するからこそ、宇宙エネルギーとともに仕事をしていけるし、真に人に変化を齎すことのできる波動が動くのだ。ちなみに誤解のないように、ここでいう「人間である」とは「肉体存在である(に過ぎない)」という意味。非人間的であれという意味ではない。念のため。

一応は、地上で生きているわけなので、100%が魂であれという訳にはいかない。けれど、ソウルセルフがエゴセルフを凌ぐだけのフォースを、繰り出せるようにしておかなくては。魂が、地上を体験しているという今の我々、人間の生存自体が、矛盾している。そこから拮抗、葛藤が生まれている。ゆえに世界が常に不安定で、人体には病気も発生する。

ライトワーカー、ヒーラーをしている人たちの中でも、「高次の言いなりになりたくない」「自分の領域は守らねば」というような言葉を聞くことがある。そこに私は違和感をずっと感じて来た。「高次」「高次」と表現していても、それは私たち自身である。自分の魂が、この三次元に降りて来てこれをやろうと、決めていることを進めていくわけだから、自分自身が魂主導で生きていれば、エゴセルフとソウルセルフはうまく融合し、「領域を守る」もなにもない。

立派なお仕事をされているライトワーカーの方の言葉でも、「乗っ取られないように高次にはちゃんと意思表示をした方がいい」というニュアンスを聞いたこともあるけれど・・それこそがある意味、二元的な考え方だと思う。「モナドロジー」的に言えば、外部からの力ではなく、内部から魂は活動している筈、というのが私の感覚。ただ、自分のソウルと、パーソナリティを融合させ、エゴセルフの抵抗を抑え、ソウルセルフと折り合いをつけて、時にエゴセルフの言い分も聞きつつ、本流はソウルという本来の自分に融けて回帰していく。それだけのことなのだ。(もちろん自分のハイヤーではない怪しいモノに乗っ取られてはいけませんが。。基本的なライトワーカーの仕事とは、自らのハイヤーシステムと連動するということだから)

色々なものを分類し、切り分けて考えて、変に自己防衛をしたり、他者批判をしたり、分離を起こしたりしていく。そもそもの意識に、差別(仏教用語としてはシャベツ)をたくさん張り巡らすために、自分の生きる現象世界が難しくなっていくのだ。上にあげた飯島先生は言う。「神一元。宇宙の仕組みはたったひとつ」

そのたったひとつで、受信し、咀嚼し、発信し、発言し続けていくことで、少なくとも自己矛盾は消えていく。葛藤せず、苦しみが生まれないモナドとして、存在できるようになる。が、その肯定では、「神一元」では動いていない雑多なエネルギーに揉まれてしまう。それでもめげずに進み続ける道が・・・菩薩道、菩薩行、といったところか。

今日はこのくらいで

Love and Grace,

Amari

日本列島の誕生・秘教的考察

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インド、ヒマラヤ、チベットのマスタークリスタルたち。(私物)

日本列島は、かつてはユーラシア大陸の一部であった・・古代史や考古学をやっていると自然と出会う情報ですが、頭に入れたのが20年前だったせいか、単に氷河期が終わって氷が溶けて、日本海が出来た・・とかつてはなんとなく思っていました。Amari's 小説の『ハピの巫女姫』(2003年執筆)においては、1万1千年前の天変地変・大洪水にて、日本が大陸から切り離されたということにしていて・・

近年の研究から次々と色々なことが分かって来て、そういう面からも時代の変わり目を感じています。不思議なほど、各ジャンルで画期的な新発見と発表が相次いでいるこの数年。

2016年春、1期目の石巫女アースワーク専科でも取り上げていたのですが、日本列島というのは非常に特殊な、面白い経緯で出来上がっているのです・・今年もまた石巫女クラスが進行中・・ということで、再び新旧の文献やメディアの資料などを覗いていました。一度、整理のために書いておこうと思います。

今年は地震、天変地変という側面でも注意が必要な時だと思うので、少しでも意識を向ける人が増えればいい。去年放送されたNHKの『ジオジャパン・奇跡の島はこうして生まれた』がヴィジュアル的にもお薦めなので、ご紹介します。気になる方はぜひ、オンデマンド等で見てみて下さい。

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『ジオ・ジャパン』での表現や学者の方のインタビューなどをお借りして、書いてみることに。。。日本列島の誕生は、遡ること3000万年前に始まる。神戸大学の乙藤教授の研究で、火成岩に含まれる鉄が示す磁気の測定から、西日本と東日本に、それぞれ逆向きの回転する力が加わって、大陸から引き離されたことが推測された。さらに、岐阜県ハバロフスクでそっくり、ほぼ同じ地層が発見されたこともあり、ユーラシア大陸と一連の部分であった日本が、大陸から、なんらかの理由で逆回転、いわば観音開きのように西日本と東日本が引きちぎられた事が分かった。

そんなことは世界でも稀で、他に例を見ないらしい。全世界には十数枚のプレート地殻がある中で、太平洋プレートはもっとも広大、それゆえに流動する成分が溜まって境界付近では100kmもの厚さになるという。その巨大で重たい海洋プレートが大陸プレート(ユーラシアプレート)の下に沈み込みを続けているうち、力の負荷から逆向きのマントル対流が生まれ、ユーラリア大陸のヘリがどんどん地下の力で引き伸ばされて、薄くなっていく。そして、ついに大陸本体から剥がれてしまった。。

3000万年前に生まれたその剥離の動きから、2500万年前には観音開きで西日本が時計回り、東日本が反時計回りに大陸からちぎれた。双方の間は離れていて、別々の島を呈していた。1500万年前に、ほぼ今の位置に落ち着いたらしい。たまたま地球最大の太平洋プレートに接していたため、ユーラシア大陸のヘリが裂けた。・・地球史上でも稀な、類を見ないことが起きた。

太平洋プレートの南には別の海洋プレート、フィリピン海プレートがあり、それが上方での3000〜1500万年前に起きていた動きにも影響を受けていた。1500万年前に、大陸から引きちぎられた「日本列島の元」が今の位置に定まると、それまで西方向に沈み込みを続けていたフィリピン海プレートの向きも変わり、北へと方向を変え始めた。そこには、一列に並んでいる海底火山の列があり、方向転換したプレートに運ばれる形でその火山群は次々と、東西に分かれていた日本列島の間を偶然、埋めるようにして、連続衝突していった。

一列に並んだ火山島が次々と衝突し、島と島の間の海峡を埋めて地続きにするという、地球史上他にないことが起きた。1500〜500万年前の出来事。

それにより、中部の山々(櫛形山地、御坂山地、丹沢山地)と伊豆半島ができ、それらの衝突運動でたまったマグマが噴出する形で、後に富士山もできた。

時を同じくして・・1500〜1400万年前の西日本では、同じく海洋プレートの沈み込みにより地下にたまったマグマが原因で、世界でも最大規模の超巨大カルデラ噴火が起きていた。それにより世界の気温が10度も下がるという影響力を持つほどの地変である。冷えて固まったマグマは紀伊半島の地下で、神奈川県サイズの巨大花崗岩となって今でも存在しているのだとか。。その一部が地殻変動で地上に出ることもあり、熊野地方には巨石が多く(!)、火山もないのに温泉がカルデラの噴火口そのままの半円状に点在しているという。

紀伊半島だけではなく、同じ頃に西日本でカルデラ噴火が多発していた。マグマだまりに地表が陥没→火山灰・マグマが噴出→冷えて巨石・巨岩となる→ 海底の花崗岩が(マントルの中では軽い成分のため)浮力により上昇、地表を押し上げた結果、山地ができる・・これによって、もとは平原だった西日本に山々が形成されたのだとか。

なぜ、このような地殻変動、マグマの運動が起きたのか? それは、上記の大陸から観音開きで引き裂かれて今の位置に落ち着いた西日本が、たまたま、高温のマグマを抱えたフィリピン海プレートの上に乗り上げてしまったから。

このあたりは地質学者の三浦大助氏の研究チームの研究によるもの。

そうして、山々がそびえる西日本が先に出来上がった。まだ半分が海の中に沈んでいた東日本は、300万年前に突然の隆起が起きる。房総半島の側で沈み込みを続けるフィリピン海プレートが、太平洋プレートとぶつかった為に方向を北西に変えた。それにより大陸プレート(北米プレート)を圧縮する形になり、結果、東日本の山脈が生まれたという。この東西圧縮の動きの最後の最後、房総半島が海から顔を出し、今の日本が完成。50万年前のこと。

ちなみに、今でも圧縮による隆起は続いているという。プレートが他のプレートにぶつかって方向を変えるというのは、地球史上、滅多に起こらないと、番組の解説をされていた火山学者、神戸大学の巽好幸教授。

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こうして文章に書き起こそうとすると、文系頭では思わずスピードがいつもよりも落ちてしまうのだけれど・・CGというヴィジュアルで解説して頂ける今の時代は便利。

駿河湾相模湾、そして熊野とその周辺の海底。房総、茨城沖など、ここ数年気になってきた場所には、プレートレベル、海底レベルで何かあるのだろうと思って来たけれど、熊野に実際に旅した時に感じた超古代・・を通り越した原古の地球の記憶のようなものをも、想起しながら番組を何度か繰り返し見ていた。

個人的には関東の地震よりも南海トラフがとても気になっている。

そして東北、北日本はかつて地震などの災禍を「引き受ける」ことがあると感じていたけれど、ジェネシス概念や、地球史に照らすと、北日本は高次自然界のエネルギーを強く残している、上空にもその繋がりが残っていると感じて来たことと無関係ではないのかも。純粋な自然界の王国の名残が、その世界の自己犠牲的な性質が、大地にも投影されているのかもしれない。

紀伊半島はこれから少し、キーになるかも(シャレではないけど)。地下にあるという神奈川県サイズの花崗岩も気になる存在。そう、3年前に出向いた熊野ではイザナミ墓所といわれる海岸近くの花の窟(いわや)神社に行っていた。火の神カグツチを産んだことで亡くなったと言われるエピソードと、この1400万年前のカルデラ大噴火は関係があるかも? ならば夫婦神での国生みは恐らく1500万年前ということになるだろうか。

そう。1500万年前、というのが秘教的観点からすると見過ごせないものがある。諸説ありつつ、アルガンザ・ジェネシスでは現在の地球の管制ロゴスたちの地球への到来を、1500万年前としている。そして、以前からガイアワークを考える際にいつも頭に置いているのが「地球雛形説」だ。今回、日本列島の成り立ちの全容を改めてNHKさんの『ジオジャパン』で眺めていると、ナレーションや解説の中の「たまたま」「偶然」の連呼が気になる。そして「1500万年前」がひとつのポイントになっているという点も。

現在のシリウス系の管制グループは、進化プロジェクトのある局面を担うために招かれた(あるいは配属された)エキスパートだと考えるが、その到来と日本列島の外枠の完成=1500万年前 が一致するのは興味ふかい。雛形の中に地球全体の様々な勢力やエネルギーやテーマをミニチュア状態で盛り込み、レイラインや高次世界との次元トンネルや、宇宙エネルギー同士のカルマなどを、日本列島やこのフィールドに「仕込み」地球プロジェクトを考えていく為の、進めていく為の小さな実験場。それを早急に作る必要があり、プレートの向きを変える、マグマ溜まりを動かす、などの手を加えたのかもしれない。。「神々」にとってそれは難しいことではないだろう。

花の窟神社で感じた、とろけるような女性的な空気は、アルガンザで扱っているリラ由来の創造の蜜色エネルギー「ディーザ(Devine Mother)」の空気感によく似ていた。伊勢神宮のような清々しい高周波はシリウス。明らかに違っていた。旧システムから新システムへの切り替えも、新勢力であるシリウス系マスターたちの到来後に起きている。母神イザナミの物語も、それを表現するものかもしれない。

それにしても、日本列島の成り立ちは本当にミラクルだ。番組のゲストの方が言っていた。「偶然といっても余りにも凄すぎて、最初から仕組まれていたのではと思っちゃいますよね」・・・

・・・『ふふふっ』と心で笑う私であった・・・(笑)

 

地球史・地質学方面だけではなく、人類史においても、この2〜3年で画期的な発見が相次いでいるようで、ちょっと目が離せない感じがしている。時代の変わり目には、生きる人々の意識や生活・概念や文化が変わるだけではなく、それらを固定していた人類全体のマインド、メンタルフィールドに変化が起きなくてはいけないということか。学者の人々がある意味、導かれ、インスピレーションで動いたり閃いたりして、これまでどうしたって見つからなかったものが急に見つかったり、新しい学説が生まれても、もみ消されずに育ったりして、メンタル界から変化が起きる。そうすると、

それを受け取り、生活レベルに落としていく民衆レベル、民衆のニーズに応えようと常にアンテナを立てている企業・産業レベルにも、否応無しに変化が起きていく。芸術文化面の人々も、連動する流れをキャッチして、作品を生み出していく。それがまた民衆の感性や行動に変化を起こしていく。

ああ、こうして本当に、世界が今、変わろうとしているのだ・・・と、噛み締めてしまった最近。石巫女でも二年前の時点で「もしや鉱物界というより、ワーク対象はプレートでしょうか?」と言っていた時もあったけれど、私たち、物質界の生命圏を載せているプレートは、何よりも我々の運命を握っていると言えるかもしれない。

地学方面からの列島史、人類の発祥や日本への流れについても色々と分かって来ると、それが神道や神話、古代史あたりまでと結びついて、我々のルーツがより明瞭になっていく。そのような思考的・思想的・実学的な形を通してでないと、実際の社会や人間の意識は変わっていかないのだ。私たち個々の癒しと成長においても、ただヒーリングのエネルギーが入ったり、ハイヤー層から降りて来たとしても、それだけでは定着していかず、本当の変化は起こらない。全レベルにおいて、同じトーンが響くからこそ、実際に変容が起きていく。それと同じだと感じた。

今日はこのくらいで。

Love and Grace

Amari

エゴをくすぐらないのが、善なるスピリチュアル。

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頼りになるスフィアたち。インスタでも呟いた、偶然にも同じサイズ。運命を感じる・・(インド産ガーネット、セラフィナイト、ガブロ=ミスティックメルリナイト)

イギリスのドラマを見ていて、出て来たセリフ ==「悪が喜ぶのは、善人が何もしないこと」・・・本当にその通りだ。個人的にはそうであってはいけないと思っていて、特に「何もしなくていいよ〜。しないほうがいいよ〜。」という風潮で一人また一人と、第二チャクラでそのアストラル幻惑に囚われてしまう人間の性質が好きではなく、日本人はまさにこの言葉にハマる国民性だとも思った。みんな善人、そしてみんなで何もしない。大きな悪ははびこらないかもしれない。けれど、善も発展しない。。。

「さすがイギリス!」と言えるのだろうかと考えてみる。同じ島国で似ている所もあるけど、行動力に関しては、市民革命は政治レベルで無血で済み、奴隷解放はアメリカのように戦争をせずともやはり議会レベルで実現した。つまり勇気を持って社会を変えようと立ち上がるインテリが居て、議会にそれを持ち込んだということ。そしてイギリスと言えば、ビートルズを、ストーンズを、パンクを生んだ国。・・そして確か黒人音楽やマイケル・ジャクソンへの評価も、本国ではなくイギリス人のアンテナが成し遂げたと聞いたことがある。・・つまり偏見や固定観念で新しい時代の萌芽を抑圧せずに、変化やエネルギーの解放を受け入れる勇気を持っているのかもしれない?仮説。イギリス人は正義感が強いのだろうか?

もっとも、歴史の流れや美徳と言えるかつての要素は、日本も似ていた。世界大戦に負けるまでは・・恐らく日本人も正義感が強かったに違いない。

「悪が喜ぶのは、善人が何もしないこと」

哲学者バークの言葉と言われている。英語では、

All that is necessary for evil to succeed is for good men to do nothing.

これをブログにでも書こうかしら・・でも、ま・いっか。と流していたら、10日と経たないうちに別のイギリス映画を見ていたら、同じセリフが出た!そちらの字幕では「善人が何もしないと悪がはびこる」となっていて。10日のうちに2度も見てしまったので、書いてみようかな?と思った次第。

本当かどうか分からないけど、塩分をとるなと言われて塩分不足になっている日本人は、自分で考える力が削がれているとか、戦後にアメリカから牛乳を飲むように指導され、それにより松果体が石灰化しているとか・・色んな話がある。そういえば、私は子供の頃から塩分大好きで、今も積極的に塩分を摂取(控えたほうがいい、という世間の風潮は全く気にしていない)。ただ、良い塩分しか取らない(化学調味料や食塩は取らず天然のもの)。それに、子供の頃から牛乳が苦手で飲まないようにしている(でも乳製品は食べる)。

まさかそんな理由ではないと思うけれど、集団の中でのいわゆる無気力状態というか、学校(高校生以上にその傾向)でも、会社でも、世間全体においても、自分自身で感じたり頭を働かせたりして、生き方を決めて行くのではなく、空気としては少しモヤモヤっとしたまるで魔法に掛けられるような集団心理に素直に身を預け、そこから自分の人生を決めていくという在り方が、ずっと理解できずにいる。若い頃はそれこそ、パンクのように暴れ出しそうな勢いだった。(実際にハードロックが好きだった・・)

人々が思っている以上に、人間社会の病(やまい・病み=闇)は深刻なのだ、というのが今年、強調されて入ってくるメッセージの中心にある。問題は行動力ばかりでなく、判断力が働かないようになりつつあること。

アルガンザでは、去年からの情報の混乱期から1月、2月と徐々に抜け出し、更に今年とこれからの意味付けを悟るために、3月・4月は象徴的な出来事を見たり聞いたりと続き、だんだん高次の言いたいことが、本当の意味で理解でき、これからの7年の役目とそのための意識や周波数の設定がさらに整理できて、5月に入る頃にはそのためのエネルギー補充で、強化されていく感じがあった。そんな折・・今からちょうどひと月前に、珍しく偶然に人様のお仕事振りを拝見する機会があって、衝撃を受けた。

10年以上前から知っていて、個人的に好感が持てるクオリティの高い良い仕事をなさっている方。が、低迷期にあり、すっかり弱ってらっしゃる様子だった。そして、戸惑っているポイントや起きている現象などに、規模は違えど共感できた。私自身も去年、そんなターニングポイントが来ていたから。何か同じ(ライトワーカーとしての)流れに乗っていると感じた。カオス期の中で、善なるものが、変容期の渦に巻かれてしまっているような。

けれど、自分としては上記のように、集合意識の背景にある善のほうの力の意図することを受け止め、なるほど〜と思ったところだったので、目上の方・尊敬する大先輩でありながらも励ましの言葉と、黙って癒しの波長を送らせて頂いていた。

その後、アルガンザのお仕事の流れは更に、新しいサイクルに適応せよと言われるような現象とサインが続いて、ある種の高次の采配で、シンクロニシティや、逆シンクロと私が名付けている現象が、関係者の人々に一つひとつ説明できないくらいに同時多発で起きているうちに、分かったことが、

(三次元パーソナリティとしては認めたくない気持ちもありつつ・・)

「光の振りをしている闇」と、本物の光 の争いの本格化が起きている。

・・もちろんいつの時代でもずっとあるのですが、先日書いた記事のような今年からの7年サイクルの中で、どうしても避けられないようだと、受け取った。

そして、「争い」と書いたものの、表立ってバチバチッと争う訳ではなく、結果的にそうなるという・・更には、「もう争いはいらない」というメッセージを発するところこそ、本当のライトワーク=人類を進化させるために必要な作業、つまりその「争い」に参加をしない・させないという意味で、「光の振りをしている闇」と言えるという、パラドックス。これを、人々が見抜くことが出来るのだろうか?

今書いていて気づいたのは、まさに上に挙げたイギリスの言葉に照らせば、この潮流の中で何もしない、という人々が多ければ、良い方へ行かないということになる。

光の振りをしている闇 と、本物の光 の争いの本格化

「争い」・・は、誰も望んでいないはず。けれど、通過しなくてはいけないゾーンのようだ。ノンデュアリテイ・非二元のメッセージも、本当に真髄として伝えた人たちが居たところから、またその言葉のもつ力を落としめる風潮もすぐに生まれた気がしている。メタフィジ界でも、学問でも、何でも、誰かが素晴らしいものを高次から受け取って世に出すと、少し時間が経って、その質を(支持している振りをして)落とす逆の動きが生まれる。というか、やっている人々は無意識で、背後でそういう力が働くのだ。

ある方が、去年からの潮流や現象を分析した結果、この変動期のカオスの中で、本当ならば進化していけるはずの要員だった人々でさえ、乗っていけない魂たちの悪あがきに巻き込まれ、足を引っ張られて滑落しているのではないか・・という話も、最初に聞いてから3ヶ月ほど経った今は、「そうかもしれない」と思う。実例をいくつか見てしまった気がしている。

「・・の本格化」というメッセーを受け取ったことで、上記の、レスペクトしている仕事人の方の様子を見に行ってみた。ら、このひと月で良い流れが生まれたようで、すっかりお元気になられていて、安心した。一月前、その方の言葉で、「人々のエゴをくすぐる仕事は、善なる仕事ではない」と聞いていて、そういう姿勢の方が低迷されるなんて・・と、幾らか自分も悲壮感を味わっていたので、その後、持ち直されていて本当に良かった。先方はもちろんのこと、その変化が、自分自身とも時期的に一致していたことにより、やはり同じ時代の変化の流れに乗っていると、確認も出来た。

エゴをくすぐる・・は、電化製品や食産業だったらいいだろう。けれど、メタフィジカルではだめ。なぜなら、エゴセルフをてなづけてソウルセルフに主導権を渡していくように促し導くのが、メタフィジカル(スピリチュアル)の本来なのだから。あらゆる自然療法、ホリスティック、癒し、そして覚醒などの目標を掲げたメタフィジカルな世界の前提は、「人は肉体にあらず。魂=エネルギーである。」

にも関わらず、メタフィジ界に、決して魂の領域には進ませないように仕事をしているスピリチュアル専門家 が沢山いる。繋がっているところが違うのだ!(本人さえ気づいていない人も沢山いるし、元々のメソッドやシステムがそうなっていてそれを採用することで闇側の要員になっている人も)

楽そうに見える道には落とし穴。または、どこまでいってもゴールにつかない堂々巡りの道。

「こういう学びは一本道で、進むか戻るかしかない。」と言うと、不思議なほど反応する人が多い。おそらく聴いている意識の層が違うのだろうと思う。「道は沢山ある」と返ってくる。・・・・・そういう意味ではない。道は確かに地上レベルでは沢山あるだろうけれど、森羅万象・全ての生命(魂)をつなぐ仕組みは宇宙でたった一つしかなく、それが宇宙そのものなのだ。宇宙それ自体と調和するよう自分を純化していく、ただそれだけのこと。

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ソフィアの雫。。Lumiere でUP準備中〜

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INFORMATION

インスタグラム arganza_yokohama でサロン日記、同じくlumiereblanche_shop にてリュミエールの新着、タイムセールなどを更新中。

お休み中のLine メルマガは夏至の日に発行。&Facebookは近日作り直し予定。

Arganza のスケジュール、9月まで更新。UPDATEブログを本日更新予定。

 

Love and Grace!

Amari

「前時代」としてのアトランティス

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 昨日の石巫女アースワーク専科クラスにて、鉱物の種類で取り上げたガーネット各種、ペリドット、ガブロ(ハンレイ岩の一種で石業界の流通名はミスティックメルリナイト)。インスタグラムにもサロン日記として綴りましたが、予想通り、肉体への癒しとチャージ効果が凄かった。それでいて、ライトボディの外側の層や、縦軸、アンタカラナにもエネルギーが通って行き、いつもながら色々なワークが各自に齎された気がする。。翌日の今日も、強めのエナジーワークを受けた後のような余波が続いている。

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いつも二種類のワークをロフトで行っていて、こちらは2つ目の「土地グリッド」。地球上のどこかしらの土地にフォーカスし、当地の悠久の歴史を鉱物界を入り口にして体験しよう、というコーナー。今回は該当する石が少なく地味目な仕上がりだけれど「ギリシャとローマ」。2年前の1期目の石巫女でも取り上げたところ、その時はアトランティスの最末期と言える「ポセイディア」==いわゆるプラトンが書き残している、エーゲ界・地中海あたりにあったと思われる島、ないしは群島の「最後のアトランティス」==を体験していた。

今回、私の現在の個人的な探求がアトランティスに向かっている為、またサロンでもギリシャなどの話題が出ていたここ数日だったので、きっとまたポセイディア?それとも?・・と言いながらグリッドを組んでの瞑想に入ったところ、イタリアやギリシャの石を並べていることを瞑想の20分間、全く忘れてしまうほどに、ポセイディアでもアトランティスでもなかった。。。不思議なことに、別次元の天上界。どうやら、何となく中心点が欲しくて配置した、銀河系の創造の母なる源泉(アルガンザでいう「ディーザ」=Divine Mother)の象徴でもある、アンティークの真鍮の球体が、このグリッドの意味を表していたよう。

生徒さんたちとそれぞれが見た、体験した内容をシェアした結果、リラのディヴァインマザーのエネルギーを注入して、アンドロセラフによる光の幾何学が、アルクトゥルスのテクノロジーも導入して地球を創造している時・・創造の喜び、その世界の周波数の高さ・純粋さ、そして生まれた初期の地球の(物質体としてはドロドロの塊だったわけなので物質次元では勿論なく)「楽園」のような清々しさと優しい光に満ちた、どこまでも自由な世界。。。それを、体験していたような感じだった。

加えて、地球のロゴス意識の女性側面(これをアルガンザでは「白山姫」と呼んでいる)の、これまた現在のシリウスエネルギーではなく、前の地球(=リラのシステムで動いていた)の、ロゴス女神意識、つまりリラ系のそれ・・・が、切り替え後にもシリウスの女神意識ほどではなく圧倒的に少ないながらも、地球の各所に残り、特にレムリアや、アトランティスの途中までは、神殿や聖所のような形で守護されていた。そのエネルギーの脈の、様々な時代のあり方と、自分のソウルのご縁を、辿っているような体験もしていた。それを誘導する、シチリアのサルファー結晶たちの高い周波数がいつまでも余韻として、幸福感として、残るような体感だった。

地球儀も何気に配置して写真をとっていたのが、瞑想を終えて見ると、上記のように地球を創造しているセラフィムたちの目線の中に、リラのディヴァインマザーが、生徒さん曰く「太陽のように降りて来て地球に情報とエナジーを注いだ」ことを表していたのだろうと、後から気づいた。

地球のマントル層は、ペリドットの結晶から、ガーネットへと変わっていき、地球の中心部は白銀で虹色に輝く鉄の液体であるという。今回は(上写真)触れて体験する鉱物のコーナーではそのペリドットとガーネットを取り上げた訳だけれど、それぞれが地球の新しい層(シリウス)と、古層(リラ)を意味しているのではないか。。という仮説も、ジェネシスヒーリング伝授の場でも語っている。ガーネットがリラの時代を体現するというのはもう私の中では確信めいていて、一方で昨日の感触ではペリドットシリウスというよりアンドロのセラフ層を感じさせた。どの地球、どの層の創造にもセラフたちの光は関わっている。

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さてさて、アトランティス

アルガンザのジェネシス概念では、アトランティスの時代設定は、神智学に言う「人種期」による分類に拠っているので、100万年という時間軸になる。そしてつい最近の、1万年ちょっと前まで存続している。アトランティスという時代を知れば知るほど、現在の1万年ほどの「有史の」時代が、それをミニチュア化してこの1万年期を駆け抜けて来ていることを感じる。今の、神智学でいう「アーリア人種期」がいつまで続くのか分からないけど、少なくとも物質界を住処とする人類の時代はこれから終わっていくと想像される。

ここからの話は、神智学を信じるならば、の前提で。時間の区切りも単位も、世界の量子的なあり方、エネルギーの存在密度によって尺度は幾らでも変わるのだろうし、数字としての予測は難しい。けれど、1万年のアーリア期を経たから、これから99万年の時間が私たちにある、と考えるのは愚かだと言える。

それに、100万年のアトランティス人種期の中で、地球全体が壊滅状態になるようなキャタストロフィー、大災害は4度起きているという。4度目が、よく言われる大洪水で、その時点ではすでにアトランティスは全盛期に比べてほんの一地域を残すのみ(上記の「ポセイディア」)だったという。100万年というのは、現在の私たちの物質的な密度から数えるとそういう時間に換算される、くらいの受け止め方が賢明だと考える。アトランティス期の始まり、つまり100万年前はまだ、人類がおそらくレムリアからの流れで半物質であり、いわゆるシェイプシフト状態であったし、それを自覚していたらしい。

物質になってみたり、また非物質に戻って見たりと・・制御が自由自在で、非物質の領域に「本体」があることを、自らちゃんと自覚していた。というかそれが「常識」であったところから、いつしか物質の世界に耽ってしまった。そして五次元領域に戻れなくなった。聖書でいう「楽園追放」。

そんな時代を経て、人類は物質体として生きる今のスタイルになった。ということを、つまり神智学レベルの知識を、普通に学校で歴史の授業で学べるようになる時代がいつか来るかな?

人類は物質界で生きること、おそらく性の刺激などに耽溺し、周波数を下げていくことで、神・つまりたった一つの宇宙の法則で調和しながら世界が存在するという領域へ、戻れなくなった。本来は出入り自由で、体験しながら学ぶ筈だったのかも知れない。

人類のディセンション(アセンションの反対)という選択ゆえに、地球に存在する本来の魂の本拠地、5次元との間に壁が生まれ、物質界で誕生するならば、5次元の記憶を全て失って物質体として生きることを甘受しなくてはならなくなった。けれど、自分が肉体的個人ではなく、魂であるという真実を思い出せる人々も居る。

アトランティスは4度の大災害に見舞われた。その全てが、知識や知恵の「誤用」によるという。そしてその誤用がどこから発生するかというと、様々な問題を掘り下げていくと、全ては「権力」「利己」「欲望」に通じていく。現在の戦争の理由と同じ。いつだって同じなのだ。ある文献では、その「誤用」の奥にある「利己」の問題が、そうではなく神の(あるいは宇宙の)自然秩序のもとで調和をしようという意識のある人々との間で、残念ながら戦いへと発展していく。利己的な意識の人々が、そうなると本来は恵みである、自然由来のパワーを(アトランティスは自然界から抽出したエネルギーで運営されていたよう)利己的な思想を守るべく、そうでない人々との戦いに向けていく。滅亡ギリギリまで追い詰められる原因は、常に、それしかない。

今を生きる私たちの間でも、全く同じことが起きつつある。「魂が人間なのだ」ということを、どれほどの人々が認識し、そのように生きようとしているだろう?スピリチュアルと言われる分野に居る人たちでさえ、自分が魂で、5次元意識で日々の全てを考え、行動し、生きていると言える人は少ないのでは?

自分たちが渦中に居ると、世界の有り様は見えにくいものだけれど、アトランティスに置き換えれば、自分が魂であると思って(そのように生きて)いる人々と、そうではなくここに居る人格が自分である と主張する人々の分離は明白で・・・数で言えば圧倒的に後者が多いのではないかと。壊滅を生み出す潮流と、同じことが既に起きていると思える。三次元や物質界に固執するという「自由意志」の行使が、どこに向かう原動力になっているかが・・視点を持ち上げれば、見えて来る筈だ。

心ある(真に高次と通じ、その目的で動いている)ライトワーカーたちは、故に少し焦っている。エゴセルフである自分の立場や仕事を守るために発言・活動している人々は、その逆のことを発信している筈だ。そして多くの人が、それに騙されている。けれどライトワーカーという自覚さえなくても、必要な仕事を推進し、時代の変換点を呼び起こそうとしている人々は沢山いる。

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アルクトゥルスGATチャージのデュモルチェライトinクオーツ。本日リュミエールにUPします)

アルガンザのジェネシス概念では、主に6〜7億年前の地球から、魂の旅が始まっている。その時間軸に最近は頭が慣れてしまい、アトランティス文明はもう、いまの有史時代と地続きの一つの流れのように見えている。ゆえに、教訓がとても生々しい・・・個人的には、キャタストロフィーは破壊からの再生だから、創造の原理、創造の喜びの観点から言うと「悲しい」と感じる。出来れば破壊のないシフトで人類が、アトランティス(第四)人種期で学んだことを生かし、この第五人種時代を生きて行って欲しいと思っている。

 Love and Grace,

Amari

人はどこまで恐れるのか--「 箱舟の7年」

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最終年度としてのマスタークラス2つが始まった。土曜日、石巫女アースワーク専科でのアルプス水晶たちと、上は翌日曜日の、星巫女プロ専科コース、終了後の空。

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普段はテレビをほとんど見ない我が家は、数年来、食事時にだけ「英語を聞いていたい」という理由で、主にイギリス英語を喋っているDVDを見るのが常。何度かブログに書いた「Game of Thrones」や「ダウントンアビー」(どちらも世界的大ヒットドラマ)が、1話の時間が食事時にちょうど良いのと、超大作なので連続して日常的に流す用途に向いているので、登場することが多く。

前者はアメリカのドラマとして知られている訳だけど、俳優陣や裏方の技術スタッフなどはイギリスが中心。伝統的に歴史物の製作技術がある故だろうし、そもそも監督や原作者にもこだわりがあるよう。架空の大陸ウェスタロスの7王国の攻防を描くドラマで、それぞれの国や地域の役柄により、俳優たちの起用、そこで話す訛りなどを、イギリス各地の訛りに置き換えて、配役しているのだとか。色々なイギリス英語を聴く、それをストーリーとともに楽しめる作品。

で、最近は「ダウントン」を見ていて・・思ったこと。百年前のイギリスの伯爵家を舞台に、使用人や伯爵一家(三人の娘とその配偶者たち)や周辺の人々の日常を描く群像劇。社会的地位や立場も様々で、世代も四世代に渡る。貴賎を問わず、保守的で伝統を重んじようとする人々と、貴族制が崩壊しつつある時代の気風を感じている人々、その両者の間でうまくバランスしている人も、様々。

連続ドラマ故に、これでもかと問題が起きていく。そして解決も起きていく。でもまた次の問題が・・と。或る意味で長編ドラマは一山超えて終わってしまう映画に比べて、人間についての学びのエッセンスがある。自分でも『ガイアナ神謡集』を有料メルマガで出していた十二年前、毎週毎週の配信なので、最後に「ええ?次はどうなるの?」という終わり方をしてみたりする、ドラマ製作者の気持ちを味わっていた(笑)。同作は本当に、連続ドラマ並みに問題、試練が次々と起こる。。。

その、問題を生み出す神?の目線になってみると、結局、トラブルを起こすものは何かというと、天災などを除くと、やはり誰かの恐れの作動による。一見恐れに見えないものも、核を探して行けば、結局は恐れの種がある。人間の本能が恐れを知ったときから、それは始まっている。

ドラマを観る側、小説を読む側(そして書く側も)としては、恐れがあるから人間界のドラマとは展開される訳で、その反動としての喜びや愛とともに綴ることで、人々が感動したり共鳴したりする。ドラマを成立させるためには、恐れとはある意味で人の本性として存在している。が、自分自身の身になって考えてみると、どうなのでしょう。アップダウンや連続して起きるトラブルなどなく、穏やかに突き抜けて存在していることも、この世界で可能。それを望んでいる人や、そこに押し出される、押し上げられる人々も居る。「ガイアナ」の主人公も、最終巻ではそこに抜けていく。もはや何が起きてどうなろうとも、動じない、内なる衝動として何も起こらないという自分が、出来上がっていく。

人はどこまで恐れるのか。。。翻弄され、喜びや感動とともに苦しみや葛藤や摩擦を味わいたいうちは、恐れ続けるのだろう。魂がまだ良しと言わないのか、パーソナリティがまだ、味わい足りないと思っているのか。「恐れは幻想である」と受け入れた瞬間から、世界は変わるものですが、恐れは幻想なんだということを、受け入れられない自分があるならば、そこは見つめてあげて、声を聞いてあげる必要がある。

先日の石巫女クラスの最中、生徒さんが持っていた石井ゆかりさんの「星ダイヤリー」に「宇宙船やノアの箱船に乗り込むような約7年のスタート」との文言があり、去年から何度か書いていた、神智学に言う2025年の第四光線(テーマは統合と調和)の到来に向けて、今年から7年間、その光線を受け入れるための準備が人類の側でも起きるのだろうということ、そしてアルガンザでは昨年3月に迎え入れた10キロのマスタークリスタルが「箱船」と名乗っていることとも通じ、皆で「わあ!」と驚いていたところ。ちなみに、今日、5月16日がその始まりのよう。。石井さんの著書やサイトを、更に見てみようかな。

そして私が思うのは、これからの7年の変容というのは、神智学の7のサイクルを考えると、一年ごとに7段階に別れているのではないかと思う。1年ずつ、振るわれていくような?箱船というのは、そういうことだろう。周波数で分けられていくような。。「高ければ良いという意味ではない」と言いたい所だけれど、宇宙は数字で動くので、やはり数値で道が別れて行く。これを言い換えると、「いかに恐れを削ぎ落とすか」ということに、なるのではないかと。

そうそう 恐れと言えば、4月半ばに面白い体験をして、そのうちに書こうと思っていたこと。用事までに時間が空いたので、ふらっと立寄った本屋さんで、何となくウロウロして立ち止まった場所で、光るように存在が目に入ったのが鏡リュウジさんの「・・座の君へ」シリーズの、なぜか水瓶座と双子座だけが、代表して2冊棚に並んでいる様子。で、前から知ってはいたものの、タイミングというか導きを感じて買おうと思いたち、横で娘が「私(双子座)はもう持ってる。ママが買ってくれた。」というので(笑!よく忘れるんです)、自分の水瓶座を買って、その後用事に出かけた。

とある場所で、呼ばれるのを待っている間、あまりにも「普通」と状況や様子が違うので、さすがの私も不安がよぎった。驚くほど恐れの反応が出て、身体が強張るほど。で、気をとり直して「さっき買った鏡さんの本でも読んでいよう」と、開いたページに出ていた言葉、

水瓶座の人は迷ったとき、『変なもの』を選ぶとうまく行く」

と来た。一人でふっと笑いを漏らし、そうだったそうだったと、我に帰る。実はその施設を選ぶ時に、ネット検索をしていて、いかにもという感じの輝かしい風を醸し出している一見華やかに見えるところが沢山、並んでいて、「一般の人はこういうのを見てそのまま受け取るのだろうな」と達観しながら、自分はネットの仕組みや背後を色々と頭で巡らせ、本物で間違いないところを選ぼうといくつか検索の仕方を工夫し、最後にはオーナーさんの顔で決めるという、いつもやる方法で決めたのだった。

なのに、実際に行ってみると、そのオーナーさんのシステムが余りにも「前例がない」ものだったので、たじろいだ。自分で直観を働かせて選んだはずなのに、それも忘れて。鏡さんの本、ありがとう&うちのガイドたちは凄い。と笑いながら、待ち時間で一冊を読み終えると「多数決の反対を選ぶ」「組織じゃなくネットワークを作る」など、ちょうど自分が昨年から今年、改めて仕事のアイデンティティを模索していた中で、自分の個性という原点に立ち返りながら感じていたことと、気持ちよく合致。

あなたの水瓶のなかには、無限の発想が詰まっている。しかも、ただのひらめきじゃない。宇宙から地球を眺めるような客観性。ゼロから新しいものを作り上げるクリエイティビティ。最初は反対だった人をも惹きつけていくストーリー。

水瓶座が中心にいる世界は、フラットで自由だ。それぞれが自分なりの個性を大切にしながら、手を結び合うこともできる世界。変化は偶然、起きるんじゃない。あなたが、変えるんだ。

「なぜ?」「こんなのおかしい!」そのささやきを、言葉に、形にして。奇人変人? 宇宙人みたい? その通り。だけど、新しい世界の扉を開いて来たのは、奇人変人、宇宙人たちだ。

水瓶座の君へ』(鏡リュウジサンクチュアリ出版)

ここ数ヶ月、まさに自分でも問い直し、確認し直したことでもあった。ウンウンと頷きながら、鏡先生に感謝。多分このシリーズは、どの星座においてもその本質を大事にしていれば大丈夫と、背中を押すようなコンセプトなのではないかな。

そしてその日の、誰もやっていないようなシステムで仕事をしているオーナーさんは、私が咄嗟に発動した恐れのフィルターを通しては「人と違っていてアヤシイ?」だったものが、そのフィルターを外して我にかえると、それなりに自分が選んだだけあって、「すごく風変わりだけど全責任を自分で背負って一人でやってのけている達人」であった。。そう、私がセレクトの指針にしたお顔といえば、やはりお坊さんのような空気。変わっている事を、変わっている事がやりにくい日本という土壌で、それもサービス業なのに、あえてリスクを引き受けて、自分が正しいと思うことを実践している。社会にはおかしな習慣や思い込みや盲点が沢山あり、恐らくそれを一切排除し、一見不器用なようで、結果としてうまく現実を示しているというケースなのだと思った。

私がそのように安心すると、さっきまで人気(ひとけ)がなく静まり返り、外の天気も悪くてどんより暗く、いかにも不安になるような空気だったのが、急に「人の紹介で」という客からの電話や、次のお客さんが次々と。そしてオーナーさんが慕われ尊敬されているのが伝わってくる空気に変わった。外の雨さえ上がってしまった。。。笑

人は恐れを見ようと思えば本当に、無いところにさも恐れの要素があるような現象化をしてしまう。もうあまり恐れることも日常的には無い自分も、この体験は象徴的で、学びの要素を感じて笑ってしまった。この直前に鏡さんの「水瓶座・・」を買っていたことも含め、よく出来ている演出だった。そのオーナーさんも水瓶座かもしれない。業界や、社会の常識がおかしいと思ったら、行動してしまう。ある意味、革命家なのだ。シュタイナー学校にも、確率として先生や親などに水瓶座が多めな気がしている。世間の常識にこだわっていたら、ああいう学校に、それもリスクもある中でわざわざ子供を入れない。。。

今日からスタートするという「箱舟の7年」が、神智学でいう2025年以後の人類の上昇孤の進化、調和的なあり方への社会の変容への準備として用意されているとすると(人類進化を影ながら管理している世界は、実はアストロロジーのプログラミングの『製作者』でもありますから・・)これまで私たちを縛り付けつつ、飼い慣らすことで安住させて来たシステムがどんどん崩れ、本質、個々の力が生きる世界へスライドしていくのでしょう。

意識やエネルギーの放つ周波数で、どの程度、その変容の波に乗れているかを、一年サイクルで分類分けして、7年後に向けて送る刺激を、セクションごとに実験的に変えていく、強めにする、どうにも目覚めなければ大地変などもありうるかも?と、進化の管理者たちは箱舟プロジェクトに着手しているのかもしれない・・・ただ、ここで乗れる乗れないと二つに振り分けられるのではなく、それぞれの箱舟に分類されるのではないか。そしてその軸になるのは「恐れの解放」による、意識指数の上昇であるのだろうと感じている。意識が低いと、第四光線は受け入れられないのだろうし、意識の進化を止めるのは、エゴの抵抗つまり恐れなのだから。

選択に迷った時、恐れからの行動を取っていると、「恐れ指数」の高い箱舟から降りることが出来ず、また違うところに居たのにそこに戻され、同じ恐れをさらに克服のために繰り返し見せられるのかも。。

「あなたの小ささからではなく、あなたの大きさから、行動しなさい」

これはヨーガ哲学の中で見た言葉だったかな。

そこが試される7年である、ということだ。毎年分類されるような感じがあるのは、やり直し、階層の選び直しも7年の猶予が与えられているということかもしれない。何れにせよ、100年に一度あるかないかの、人類進化のプロジェクトの今後の方向性に触れる、7年になりそうだ。

Love and Grace,

Amari

ロゴスとレンマ、二元と三元、からの無限。

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ジェムシリカ・ポリッシュ Lumiere でUP準備中

読書していたら行き当たった「ロゴスとレンマ」。哲学概念で、簡単に言うと西洋的二元論が「ロゴス」、東洋的な三元論が「レンマ」という言葉で表される。三元論といっても、AとBとCということではなく、AとBの間の中間地点を、その真ん中に在る・・在るというよりも揺らいで漂っているAとBの関係性のようなエネルギーを重要視するのが、「レンマ的」であるということ・・なのかな?と自分なりに解釈。

これは、メタフィジカル&エソテリシズム(秘教)的な視点で言う、「レムリア」と「アトランティス」の拮抗からの受容と統合が今とこれから数年のテーマとして強調されるのではないか、と今年に入って感じていることと通じるな、と思った。

同時に、思い出したことがあって・・・まだヒーリングやメタフィジカルを始めていない、年代で言うと2001年〜2003年くらいの間のこと。娘が確か1歳の頃に初めて自分のホームページを作り、一人旅をしていた記録や、それにまつわる古代史や思想系のエッセイ、趣味で書いた論文などを載せていた。当時はブログというものさえまだ存在せず、掲示板・・に、同じ興味を持つ人々が互いに執筆物を読み合い、感想を書き込みしたり、という時代。その頃、私が発表していた古代史や思想や民俗学などで繋がっている方々は大抵が年配のおじさま・・で。

そんな、当時のネット仲間であるおじさまの一人が、「ロゴス」「レンマ」という言葉は使わないものの、西洋的な二元論に中国の思想的背景も含まれるが、何事も中国から文化が入って来ているにも関わらず、日本人の精神には三元論が土着として浸透している。そのルーツはインドである、と論を展開されていたのがとても興味深く、よく覚えているし、以来、ずっと私の中で「インドから中国を経由してやって来た文化は、中国ナイズされている筈なのに、なぜ日本人は自分たちの独自性を貫くことが出来たのか、何がそうさせたのか」というテーマは、日本という集合エネルギーを考える際に、常に頭の中に有った。

同じ構図は、新石器〜青銅器時代に対する鉄器時代、にも見られるし、分かりやすく言えば縄文(とそれと調和的に発展した出雲)に対する弥生、神話ではクニツカミとアマツカミと言ってもいいかもしれない。究極はレムリアとアトランティスであり、アルガンザのジェネシス概念では、レムリアに起きた予期せぬレムリア人種の「混迷」、アトランティスで起きた人類の自由意志による「堕落という選択」ゆえの一旦のリセット後の、大洪水後の今の文明期には、それらの要素を再び人類の中に両方とも発露させ、その拮抗を乗り越えて、自分たちが歴史的カルマを統合できるかどうかが試されている、と考える。

それは、ずっとず〜っと、テーマであり続ける訳だけれど、いよいよ社会レベル、個人レベルで魂に向けて突きつけられているのが、今とこれからなのだろうと。

少し角度を変えて更に気づいたのは、

このところ仏教やインド哲学を覗くことが多い中で、インドの当時すでに出来上がっていた伝統的バラモン哲学と、それに対する思想革命として生まれたシャカ(ブッダ)の哲学(後の仏教)は、この2元と3元のような構図で、対立していたのだということ。バラモン哲学では、究極的な絶対存在、宇宙の根源であるブラフマンがスタート地点としてあり、

創造の降下の中で、意識・アートマンが生まれる。それが肉体を持った人間を顕現させていて、いつか個我を超越し、根源の中へ回帰するという流れが大前提となる。が、シャカの思想は宇宙論を含まず、とにかく「今ここ」に在る我々、それも実体はなく、ただ互いに作用し合う関係性の中で全てが生まれては消えていく・・ゆえにカルマを滅して悟りを開くべし、ひたすら己の精神性の純度を上げていくことを重視している。

哲学の世界でいう「ロゴス(西)とレンマ(東)」のような思想的な構図は、同じインドの中でも正当バラモン哲学と、革命児であったシャカの新しい思想の関係性の中に見られる気がした。そもそも、我々とは何なのか、世界とは何なのか・・という出発点から始めるインド哲学に対し、シャカは始まりを自分・・一人の人間にした。

全ては関係性の中でたゆたう。関係し合うエネルギーとして、在るように「見えている」ものは、関係を様々に生み出して束縛し呪縛しているエネルギー(カルマ)さえ消えて行けば、いつか、在るように見えている状態、つまり存在の必要はなくなり、消えていく。・・・確かにそのようにも感じる。個人的な魂レベルの思想として、自分の中には何が刻まれているのだろう?今回改めて、考えてみた。

全体性への回帰、意識だと思っているものの消滅、これは間違いなく自分の中で「そうだ」と思っているようだ。おそらく過去生で知って来たことなのだろう、当然のようにそう思っている自分が奥にある。が、個としての個我がどこまで遡れるか・・これは神智学で言えば「モナド」ということになるが、モナドとはニューエイジでもよく聞く「ありてある我」のことである。

そんなことを考えて唸っている時、このような記述を見つけた。

中世の哲学者トマス・アクイナスについて

彼が存在を「在りて在るもの」と定義したのは、存在と本質とがそのものにおいて同一であることを表している。

存在が自己のうちに根拠をもつということは、他の何かに「因って/縁って」存在するのではなく、自らに「由って」あること、すなわち「自由」を意味する。その存在は、他の存在との因果や縁起によってではなく、「自己原因」(スピノザ)によって存在する。つまり、存在は存在するが故に存在する・・・

『あいだを開く レンマの地平』(木岡伸夫世界思想社

哲学って堂々巡りな気がする。。でも面白い。

そして自分なりの「存在論」について思い巡らせて見た。エナジーワーカ、ヒーラーとして、神智学でいう「神秘家」つまり感じて体験する方面を歩んで来たことが、こういう時には肌で知っていること、体感として、難しい思考を超越・中和するのに役に立つ。ジェネシスヒーリングの概念や、石巫女クラスで扱う地球史についても、常にそのような手法をとって、最後には「持論」を整理する試みをいつもしている。

インド哲学、シャカの哲学、そして神智学

モナドアートマンブラフマン・・・

すると、全てが拮抗するものでもなく、同じ本質をただどう語るかにおいて、つまりフィルターが違うだけだと感じた。個我を超越し、意識は滅し、全体性の中に帰る。それが無であるか、愛や創造の源なのか、というだけのことだ。そのどちらでもいい。どちらでもあると思える。そして思想家は、その時代のニーズに答えようとする。それが魂が今世、持って来た意味でもあったりする。故にそれを精一杯、シャカもキリストも多くの哲学者も、生きようとするのだ。

いつもそういう意識が自分の中に在る。何も矛盾せず、ある意味で全てが矛盾してもいいと思っている。その奥に在るものを引き出すために、今、自分が何を出しておくか、ということ。存在の根拠は何か、という究極的な問いについては、ただそうであるとしか言えないのだろうし、宇宙の本質を「分からない」と感じる人間の意識は、それでこそ意味があるとも言える。分からないという役目を引き受けているのが、私たち、個々のアートマンなのではないか。。。

分からないという設定の中から、いろいろな在り方を思い巡らす。すると個我が生まれ、個我は世界を生み出し、現象界がフィールドされる。

・・・このところ、第六次元、第六オーラ層(アートマ体)にフォーカスしていくことになり(体験を通じて導かれ)、アトミックプリンシプル=アートマ原理とは何だ?と、考え事をしていたところだったけれど、ちょうど読書をしていた「ロゴスとレンマ」という全然別の入り口から、 何となく辿り着いたような気がしている。

そうそう、瞑想をしていたら、これまでの「5次元スペース」とは違う「6次元スペース」が急に開けて、その高性能・ハイテクノロジーに驚いたと同時に、これまでもちょいちょい、そのシステムはシリウス系やアルク系のワークで必要に応じて開けていたな。。と気づく。よほどにアピールされないと、真面目にアナログに律儀にやり続けるという変なローテク精神がある私。去年の4月に「7次元」というキーワードを受け取りながらも、心も、創造も、ライトボディも、肉体も、意識も、そこに進展させるのに、1年かかった。

今ようやく、全機能が入れ替わったような気がしている。すると・・びっくり!先週あった2件のセッション仕事で、ワークの進め方や周波数の幅がヴァージョンアップしていた。ヒーラー現役はもう辞めるというのに、どうしましょ・・・以前ならばこれでまた、新しいワークを作ったりするのだろうな。けれど。そのためにヴァージョンアップしたのではないということも、同時に悟った。(もういいのだそれは。。というか、今自分の見ているものでワーク化しても、ニーズは無いであろう、マニアック過ぎて/笑)

6次元に立つと、5次元で動いているよりも、テーマである7次元意識がかなり近く感じられる。去年やって来た「箱船」(=アーク=情報)と自ら名乗った10キロのクリスタルが言いたかったことが、全層でようやく足並みを揃えて理解できたという感じがしている。

Love and Grace,

Amari