Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

守百香と彦姫たち 〜魔性と天使性の関係〜

以前の記事「ヤマトの彦姫」の続き。随分、ブランクが空いたけど、・・・と今朝書いていた長文がまたまた(また!)保存した筈なのに消えてしまった。どうもやはり、まだ「the Genesis」に公式に載せていないジェネシス情報について書こうとすると、(五次元からの)検閲が入るようだ。

ヤマトの彦姫という記事を書いて からもう一月半。

その間、アルガンザのテーマはエルフ界一色という感じだったけど、同時にセラフィムの新しい原型パターンも出て来ていて、そのことを少し前に記事にしようとしたらやはり消えて、こちらは、新改訂のバイブルに直接載せることになるのかも。けれど、「ヤマトの〜(10/29)」でも言っているように、気は進まないものの必要を感じて・・という同じ思いで、やはり今日は予告していたスベクヒャンのことを書こう。

 

当初の予定はアルビレオ恒星系のジェネシス原型ストーリーと、ドラマ『スベクヒャン』の共通性を書く中で、その中に含まれる象徴的な女性性の分断について少し触れる、というつもりだった。が、今朝書いていた内容が消えたことにより、方向性、角度を変えて再チャレンジ。アルビレオ白鳥座)恒星系の家族パターンは置いておいて、女性性の分断にマトを絞ることにする。

 

エルフ界一色・・から、ここ2週間くらいかな、先日の満月に向けてだったのか、堕ちた女性性つまり「リリス」とアルガンザで呼ぶものの気配が非常に強くなっていて、その中でも特に「イワナガ姫」という神話原型(ジェネシス的に考えればリリスの一つのパターン、日本版)が自己主張を強めているようで、その手のエネルギーにひどく攻撃された過去の経験で痛めた幾つかの場所=「古傷」が反応するので分かりやすい。

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だいぶ前に、Face Book に書いている韓国時代ドラマの『スベクヒャン(守百香)』。冒頭に出してきた終盤のハードな盛り上がりが強烈すぎる点や、幾つかの要素がすこし残念で、脚本はとても良いと思うけど、本国でも予定より早く打ち切りになってしまったらしい。それ自体へのコメントは、もしご興味あればFace Book の投稿を遡って頂ければと思う。

当時の日本の蘇我氏系の皇統と、ドラマの舞台である朝鮮三国時代百済(ベクチェ/日本では「くだら」)の繋がりについての学説や、主要キャストの役者さんたちへの他の出演作を含めての評価なども、今朝はつらつらと書いていたのに消えてしまったので今は割愛。要点だけを・・・原型としての「イワナガ姫」とその背景。

 

ネタバレを全く気にせずに書いています。ご了解ください。

このドラマの中心は姉妹。同じ母から生まれているが、長女ソルランは母「チェファ」が情を交わしていた今上の百済王(歴史上は武寧王)との間にできた娘。しかし、当時は武寧王の従兄弟?にあたる東城王が国を収めていたところ、クーデターが起きる。首謀者は、なんとチェファの父親。その城は攻められ父の命乞いを将軍である武寧王にすがるも冷たく突き放されたチェファは、お腹に子が居ることも告げられないまま別れた。武寧王は、先王への忠義が厚いためのその行いであって、その後生涯を通じて密かにチェファを愛し続けていたよう。

 城が落ちていく中でチェファをかついで逃げたのは家の下男である、巨体で怪力、口がきけないが心優しいクチョン。その後、クチョンはありえない逆転劇により、ずっと憧れていた「お嬢様」チェファの夫の座を得る。彼女が悲劇に遭い「堕ちた」ために起きた、格差婚だ。

長女ソルランが生まれ、少し経てから、クチョンを父に次女ソルヒが生まれる。

 

二人の出生の違い、背景はそのように、同じ母を持つが大きなギャップの中にある。先王を狙ったクーデターを収めたのちに即位した百済王を父にもつソルラン。そして、その事変のために貴族の姫から「落ちぶれて」しまったチェファが、山の中で密かに隠れて暮らし、かつての下男との間にもうけたソルヒ。

しかしながら皮肉なことに、ソルランは男まさりのサバサバした性格でまっすぐ、正義感が強い(=シリウス的)。平凡な山村での暮らしを愛している。「父親」のクチョンのことも。妹のソルヒは、(設定では)誰もが見ていると幸せになるような美少女(=天使性)で、純真で綺麗なもの、美しく華やかなものが好き(=アンドロっぽい)。。。が、お姫様願望が強く、自分はこんな山村にいるべきではないと、普段の暮らしもどこか夢うつつで、自尊心が強い。

 

色々あって、昔のクーデターの火種から・・ひっそりと幸せに暮らしていたこの一家を含めて村ごと、ある夜、刺客が襲う。母チェファが犠牲となる(=ここがアルビレオ原型)。父クチョンが命を張って娘たちを逃す。そこからが、二人の姉妹の道が分離し始める。死に際の母の口から、お前の父親は百済王だと聞いたソルヒ(母はソルランだと思って語っていた)は、気づいて「姉さんにちゃんと伝えて」と必死で懇願する母が息を引き取るのを見届けても、もう頭の中は「父親は百済王」でいっぱい。死に際の母の懇願は耳に届かない様子。母のための薬草を取りに行っていた姉ソルランが戻っても、伝言することはなかった。

その後、ソルヒは姿を消し、都へ。自ら娘だと名乗り出て王女として王に迎えられる。妹想いのソルランは山賊に連れ去られたに違いないと必死で探し続けるが・・手繰り寄せられるように、彼女もまた宮中に出入りする役職(百済の諜報団)につく。水を得た魚のように「王女」を満喫するソルヒ。けれど次第にその座を失わないよう、嘘をついていることを知られないための画策で、心が荒んでいく。ソルランは強く逞しく?国に貢献しようと日々成長していく。

まあまあ色々あって(全108話)、それぞれを想う男性陣もまた、数奇な定めの二人の王子。政治的な陰謀も渦巻いて・・最も激しいピーク、この二人の姉妹の衝突シーンがドラマの第一話冒頭に配置されている。けれど、基本的に作中ずっと二人は仲が良いし、ソルヒも姉を憎んでいる訳ではない。(ただ妬んではいる)

 

権力欲でもなく、ただ「お姫様でいたい」という少女性と、現実世界の判断を鈍らせる自己愛性人格障害のような性質が、ソルヒをそこまで堕としていく。その過程で、ソルランと争うシーンの辺りでは既に、統合失調の症状が出ている。韓国ドラマは権力に憑かれた女性もたくさん出てくるが、この、ソルヒの人物設定が、賢いというかよくできていると思った。少女っぽさ、「綺麗なものが好き」というよく言えば純粋だけど人としてはあまりに未熟で、そんな自分のお姫様願望を貫くのに命をかけるという普段は余りないキャラクター。

だから・・下位チャクラが丈夫そうな、史劇でよく見る権力に固執する強い女性像とは違い、壊れてしまった。嘘がばれそうだ、偽物であることがばれそうだという恐れが高まるにつれて、「いいえ、私は王女よ」と信じ込んでしまう別人格が生まれてしまったよう。

私は、日本の神話にモチーフとして含まれている「イワナガ姫」のさらに原型、ジェネシス層のリリスが作用し堕ちてしまう女性性とは、このソルヒのようなものであろうと最近は思っている。最初から怖い(感情的に強い)女性ならば壊れることは無い。少女性、天使性のようなものがベースになっていて、そこに強い「願望」が作用しそれがポキっと折れた時に(前に書いたようにアリストテレスいわく嫉妬とは悲しみである、という)魔性のような原型エネルギーが作用してしまうのだろう。

 

このドラマの良かったところは、上に挙げたソルヒのそんなキャラクター設定(だからこそ冒頭にあのシーン・・は残念だった。見る人が誤解をしやすいだろう)。その他にも二つある。一つは、姉であるソルランが全てを失った、精神も病んでしまったソルヒを当然のように許し、寄り添って暮らしている最終章。ソルヒは記憶喪失になり、自分が犯した罪さえも忘れている。ただただ純粋な「少女」になって、姉を慕って生きている。

そこに、ソルヒに想いを寄せていた悲劇の王子チンムが、訪ねてくる。この若者も不思議な人物で、なぜかソルヒをその危うさも含めて宮中では見守っていて、悪どい一面も見抜きながらも、堕ちるなら一緒に、という勢いで彼女の側にいようとした。ソルランとともに暮らす、抜け殻のような、認知症のような状態になっている彼女を最終章では訪ねて来る。ソルランとチンム、二人がソルヒに向ける大きな愛が最後に描かれている所に、このドラマの救いとテーマがあるように思う。

実はソルランとチンムは同じ父を持つ兄と妹になるわけだ(異母兄妹)が、チンムは事情あって従兄弟のミョンノン王子と入れ替えられている。この事実が後半明らかになっても二人の王子同士が醜く争い合うような展開もなく、二人とも心優しい青年でやはり愛がある姿を示しているのも良かった。ちなみにソルランを慕うミョンノン(歴史上の聖明王)も、都から彼女を訪ねてくるというシーンが最後に。どうなるんだろう?ご想像にお任せします、という最終回だった。

 

チンム王子はセンシティブなアンドロっぽさ、そこにリラのマイペースな感じがうまく統合されているような・・俳優さんの本質かな。強がって時に父の愛欲しさに怒り憎しみを発現することもあったけど、ソルヒのように堕ちきって壊れることはなかった。この俳優さん、とても残念なことに今はもう亡くなられている。

他の作品でも(ソルヒなど比べ物にならない)魔性に取り憑かれたヒロインが、宮廷で戦い続ける・・その初恋の男として、彼女を最後まで憎むことが出来ない、優しい男を演じている。けれど亡くなられたと聞いて、そんな役が続いて俳優さん自身があたってしまったのではないかと、勝手に心配してしまった日本のお茶の間であった・・

 

天使性のまま、地上的強さ(下位チャクラのフォース)が足りないまま、失意や傷心を強く抱くような場面に、原型エネルギーが降りてきて被ってしまう。そのような先祖が居ればまた、気質や体質としてそれが遺伝していく。他の原型もそうだけど、原型フィールドのような集合場があって、特定の感情や周波数状態になると、繋がって被ってしまうのだと考えている。

天使性や純粋性が壊れた時に作用を受け入れてしまう、と言っても、原型エネルギーそのものは、もっとダークなマジカルな力をもった集合フィールドである。もう一つの例をあげると、「天城越え」を石川さゆりさんが紅白で歌うと(最近テレビが無くて見てないけど・・)間奏部分でさゆりさんが悲しく縋るような顔をするでしょ。。。(ん?分からないかな?笑)そしてバックの照明が真っ赤になったりする・・あれ、なんだと思う。リリスイワナガ姫が舞い降りる瞬間とは。

天使性・純粋性、つまり、インナーチャイルドが、怒りを伴う形で発動する時、赤い女性性の怒り、破壊的な集合場の力と繋がってしまうケースが多々あると思う。それを表に出さずとも、内側に隠し持っていては、破壊的な事象を引き起こしてしまったり、他者のエネルギー体を無意識にも攻撃してしまったりする、つまり「チャネル」になってしまうだろう。

表面穏やかな日本の人々は、彦・姫でありつづける傾向が強いと 10/29記事で書いたけれど、その分だけ、表に出さない「怒りを伴う悲しみ」がお腹の奥に眠っている人が多いのかもしれない。イワナガ姫でワーク等をされる方々もいるという話を偶然聞いたけど、恐らくはそのような「奥に眠る」赤い荒ぶる力(その本質は悲しみ)を、癒しているという事だと理解している。

(アルガンザでは イワナガ姫、イコール「リリス」(堕ちた女性性)と表現していますが、それぞれの役目で表現しているだけで、向かう先は一緒、だと思っています。気に障ってしまったら申し訳ないですが、こちらの趣旨、ご理解いただけたらと思います)

 

とてもシンプルに、大切なことは日々、穏やかな心境で愛の周波数とともに生きること。

フツフツとしたものや、癒されない悲しみがお腹に自覚できる人はまず、それと向き合い、自己浄化と癒しに励みましょう。

 

ちなみに『スベクヒャン』は現在テレビで放送中だそうですよ 興味ある人は調べてみて下さいネ

Love and Grace,