Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

天と通じ合い、大地に根ざす

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少しお久しぶりの、GAT チャージ。清々しい透明度のブラジル水晶・オベリスク。Lumiere Blanche にアップ待機中。

何年も前から存じ上げている方々も、やはり今年は自分の方向性を問われるような意識の変化が起きている。それ故に、今までやってきた事を一旦閉じたり、小休止していたり。一方で、これまで動けなかった、どうしても表現や行動・発信などのアクティブな方向へ、自分を持っていけない力を内側に感じていた人々が、動けるようになって来ている。というのが、アルガンザの仲間達を見ていて、また日々語っていて伝わってくる。どちらも、然るべき・・時代の潮流、現実世界の奥にある、地球の息吹を感じ取ってのことだろうと思う。

昨日、3年ぶりの「石巫女アースワーク専科」がスタート。初回からスケールとエネルギーが壮大で・・前回は2015年の秋から半年間だったのと、今回石巫女をやることになった理由が直前に理解できた上でのスタート。今もまだエネルギー酔いして、体が余波でジンジン、ビリビリ、ほかほかして・・・今朝起きた時はクラクラして、頭痛も。延髄とクラウンチャクラからかなり情報とエネルギーが入って、早速動き出さないといけないようだ。石巫女は、アースワークというより、ガイアワークと言える。「ジェネシス」以後の今、行う2018年版は尚更に壮大になる予感。

話は変わるけれど、3年前の2015年に、念願だったアーユルヴェーダの集中基礎講座を受けて、そこである意味、開眼したというか、目が覚めてしまった。私自身は、今皆さんに起きているよりも少し早い流れで、今思うとあの時から、去年の「ヒーラーを辞める」宣言、そして今の、アルガンザの作り変えに向けての潜在的な流れが始まっている。今日のこの話を、ずっと書こうと思っていつつも、タイミングがいつもズレて来た。が、昨日の石巫女と、そこまでの2週間くらいかけて動いていた「新しい時代の潮流」を感じるエネルギーに載せて、今日、書いておこうと思う。

実はアーユルヴェーダをかじったのはその時で3度目の正直、だった。まだ奈良に住んでいた頃、大阪の先生、奈良の先生の講座を何度か受けていたものの、色んな意味で時期ではなかったようで、その時見た現実世界としては進展させることが出来なかった。ヒーラーとしてひた走った数年の後、2015年の春ころに再び急に気になりだし、久しぶりに先生を探し、朝から夜までの集中3日間コース、また別の時期のボディワーク講座を受けた。それが、今に通じる変換点となった事が、3年を経てみて冷静によく俯瞰できる。

若い頃からインド哲学やインド伝統の様々に、世界的なルーツが全て通じている気がして、更には宇宙の真理も詰まっている、ということはなぜか感じていた。けど、「難しすぎて、今の自分にはとても扱えない」と思って来たのが、「そろそろ、いいのでは?」と感じてのことだった。エナジーワークというジャンルに「奉仕」することに専心して来た結果、見える現実がようやく進化、違う層へと上がれたのでしょう・・その時のクラスは10名前後の女性ばかりで、志の高い人々ばかり。先生にとっても特別感があったようで、最終日の終わりの一時はとても感動的な空気だった。

かつて・・・21歳の時に、高校生の頃から憧れていたニューヨークへ、漸く行く事が出来た時に、別の土地にいることで、日本列島とそこに乗っかっている日本人の集合意識を、物質的なエネルギーの塊として「見えた」瞬間があり愕然とした。「普段、あんなモヤの中に居るの!?やだ、帰りたくない・・・」と。それと同じような事が、違う分野の志高い人々の中に入った時、起きたのだ。

ジャンルの良し悪しを言っているのではなく、先生は勿論のこと、その時にクラスとして集まった人たちが(ヨガの先生が多かった)意識の高い人々だったからだと思っている・・・(誤解のないようお願いしたい)。参加者の一人の方が、最後に言っていた。「今回が初めてではなく、私たちは前世の何処かで、同じ事を学ぶために、同じようにご一緒していたと思う。」・・私も本当にそう感じていた。いわゆる「スピリチュアル」に属してしまう(笑)自分の立場は、そのクラスではちょっと異色であるけれど、私の内側にあるものは、皆さんと全く同じで、かつ、普段そのつもりで仕事をしていると、ヒーリングサロンとしては何か、噛み合わないものが生まれるため、自分にとっては「どうしたものか」と当時、感じていたことでもあった。

クラスの中で一番盛り上がったのは、アーユルの各論よりも、サーンキャ哲学やヴェーダーンタ、宇宙の始まりから元素、世界、人間ができていく創造論宇宙論。そして運命論だった。人は何のために生きるのか?それは最初から決まっている。天のエネルギーとともに正しくあれば、自分の心を磨き続ければ、それ(天命)は自ずと分かることであり、自然とそこに乗って行くもの。あとは、流れに乗るだけ。

これは私が20代の10年をかけて信仰していた法華経の考え方ともだいぶ違っている。法華経を含む大乗仏教はもう少し献身的・自己犠牲的で、原罪意識を伴う。=信仰とはそういうものかも。。原罪意識を伴うと、どうしても痛みが生まれる。それをやっていないと自分はダメだ、という。まだ癒されていないものが多い人にとっては、それは苦しみの元となって、何のための信仰かわからなくなってくる。

故に、10年間、水を被ったり、山に登ったり、先祖供養などをしてきた、まだ若かった私は、過去生のサンゲのために信仰と巡り合った、来世もまた・・という思想のなかで置き去りになっていつまでも傷ついている自分には、もう限界であると感じて、信仰をやめた。そんな時、たまたま幸運にも出会ったヴィジョナリーの方に「チベットの過去生で仏教に対するカルマがあり、それが終わった」と言われた。カルマ消化のために、私は19から29歳まで、仏教の信仰をしていたのか・・そして、必要な償却が成立したということか、と。

3年前にアーユル講座で体験した、ヒーリング・スピリチュアルという世界で作られている、そのジャンルの集合意識のグラマーの靄(もや)を直観するということ。あそこから既に、去年の今頃、「ヒーラーを辞める」と急に決めた瞬間への布石は、始まっていたということだ。ただ自分では全て無意識だけれど、実際に辞めるに当たって、これまでの全てを集大成し、のちの世代に繋ぐことと、自分の仕事を形に残す必要があり、それが「石巫女」「星巫女」などのマスタークラスと、「ジェネシス」だったということだ。・・グラマーの霧が晴れ始めてから、実際に抜けきるには3年かかった。

やるべき事をやり切らないと、抜けられない。過去にも「ヒーラーやめようかな」と試みたことが1度あったが、とんでもなかった! 抜けようと出口に向かったら、そこにお化けが待ち受けていて、戦わなくてはいけなかった。戦いながら、出口を塞がれたので、元居た場所に戻り、さらに上に登った。それがこの(今の横浜のサロンを開いて以後)6年のこと。当時の高さで出口を求めては、きっと違うところへ行ってしまったのだろう。もう少しちゃんと上に登って、カルマ償却をしてから、もっと高い層で出口を見つけなさい。・・私の魂はそう言っていたのだろう。

この1年をかけて、自分に起きていることをずっと感じようとして来るうちに、これは「仏教修行10年間」に続く、「ヒーラー修行12年間」の終焉ということだと、意外とシンプルにまとまった(笑)。任期満了、またはカルマ償却。

これからまた10年くらい、違う「修行」に入るのでしょうネエ・・・笑

最初の修行時代と、2つ目の修行時代が、気づいたら融合しつつある今。意識の学校や、プロテクション専科で仏教を扱ったり、インド哲学をカレッジ、マスタークラスで取り入れたり。自分が勝手に区別をしていただけで、もともと、ヒーラーとしての自分には、その前の仏教修行時代が、大いに生かされていた。あの頃、まだ若かった自分がぶつかった壁の色々も、今ならば意味がわかる。年長者や先人たちが、なぜそのような各論を設けていたかの意味が、人間の本質をヒーリングや神智学で見てきた故に、理解出来ている。なのに当時の自分は、未熟ゆえに尖って見たり、大人たちを批判してみたり。その人の「出来具合」によっては、あの信仰生活によって、幸せな毎日を暮らして人生を終えることだって、できるだろうことが今では分かる。

それとよく似たことが、「ヒーリング」「スピリチュアル」に対して、自分の中でこの数年、起きていた。し、これからも暫くは続くだろう。過去の修行時代と、自分の人生を統合できた今見ようとしている現実は、すべての要素から「これが自分の道」である事を常に設定でき、日々、まっすぐにそこを歩き続ける事。

ヒーラーを始めて最初の4〜5年は、それまでの人生への記憶が薄く、執着もないので過去のものをすべて売りに出し、人生でやりたいこともなくなり、ただ高次と繋がってヒーリングサロンをしていれば良いという状態になっていた。そこに最初の目覚めの一撃が来たのが2009年。・・この時の選択で、少し「人間に戻った」。

人間性を保ちながら、目的や意図や世界への貢献という意思を持ったワーカーになって行くために、恐らく、その選択をして、そうなるとかえって苦しさが生まれるので、神智学が教科書として必要となった。ただ高次の光のチャネルであればいい、という状態から、目的を持ったヒーラーであるという道に再び乗ることは、むしろ苦難を選ぶようなもの。けれど自分さえ、そして自分のサロンのクライアントさえ幸せで高周波であれれば良いということではない・・と、自分の魂が選択をしたのだと思う。

後半のヒーラー時代は、ゆえに「戦う」要素が強く、それは神智学が宇宙的な意味とメカニズムを説明してくれた。そうして、かつての信仰の世界で年長の人々が言っていたことが、ようやく身を以て理解できた。自分さえ、自分の世界にやってくる人々さえ、幸せであれば良いという設定で居ると、見えないことが膨大にあったのだ。まずは自分が癒されなくてはならなかった。そこから少しずつ、「本当の人間」=「大人」になって行く。

癒され、安心したら、もうそれで終わり=続きは来世 にして、「大人」にならずに生きて行くか。それとも、今世、魂が決めて来た事に着手するのか。その、魂つまり高次からの問いかけは、皆にやって来る。一度ではなく何度も来る。選択するその都度、世界が別れて行く。量子物理学的にいえば、そういうことだ。自分が乗っかる世界は、選択のたびに波のように上がったり下がったりする。

時折、買っている雑誌「ヨギーニ」から、引用させていただく。

私たちが目指している、「ヨギーニ」(ヨガをする女性)とはどんな人?(14年前の創刊時に設定していた「ヨギーニの条件」を編集部の皆さんが2017年に再検討した結果、「理想像は変わっていない」事を確認した、という記事)

ポジティブであること、そして凛としてそこに存在する安定感。そういったものに喜び、感性も豊かになって行くのに気づく。手の先から、足の先にまで神経が通り、腰が安定して 背筋はすうーと伸びて、その上に頭がある。宇宙と地球の真ん中を結んで、そこにまっすぐ、すくっと立つイメージ。そして、目に見えない自分の存在を確かなものとして感じ、次を求めるように・・

・・もちろん内面からにじみ出てくるものがあるからこそ。ポーズができなくても、瞑想をしたことがなくても、ヨガと言われる何かをしたことがなくても、その存在の仕方が「ヨガ」であればいい。そして大切なのは、自分と向き合い問い続けること。。。

 『ヨギーニ 』枻出版社 vol.60 「新ヨギーニの条件」p24-25 よりお借りしました。ありがとうございます。

 これに尽きるのではないかな〜と、この特集を拝読した時、思っていた。ジャンルはなんでも良い。その存在の仕方が「ヨガ」であればいい。

子供がお世話になっているシュタイナー教育についても、同じような事を思う。シュタイナーは人間を魂として考える。12年のシュタイナー教育を終えて卒業する18歳のころには、子供達は、フワフワした浮世離れした若者ではなく、宇宙と通じ地球とも繋がり、さらには世界のことも自分の一部として考えられる、縦軸だけではなく横軸も持った、しっかりした若者になっている、と、娘の先輩たちを見て思う。

そうなると、高校を卒業した後のことについて、「世界のために自分は何ができるだろうか」とごく自然に、考えているような存在になっている。これは、エネルギー的に自分軸がしっかりして、グラウンディングとセンタリングが確立し、かつハートや直観(サードアイ、松果体)もちゃんと使っているからこそ、だと思う。幼少期には活動している胸腺(ハートチャクラに対応する分泌腺)や松果腺が、むしろ現代社会で物質人間として育つことで、不活性化してしまうのが一般社会の現状だ。

私はエネルギーワークを通じて、この「ヨギーニな状態」を目指していけるよう、語り続けたのが、「ヒーラーズカレッジ」であったし、これからも「エコール」を通じてその活動を続けて行くつもり。重要なのは意識であり、実際に軸やエネルギーが整っていることであり、そこから生まれる現実や、日々を創造して行こうとする意欲、それを世界と分かち合おうとする姿勢、であると思う。普通の物質人間に一度なってしまった人間が、天地と繋がり健康的に魂を生きて行こうとするには、癒しと浄化と活性と意識変容を実践して行くための方法論が必要だ。アルガンザではその方法論の中心部に、私自身がそれらのプロセスを辿ってくるのに助けてもらった、エネルギーワークを据える、ということ。

「ヒーラー」=癒し手として、人々と接することで生まれる世界観では、それは今の所難しい部分がある。既存の「スピリチュアル」ジャンルのエネルギー背景と、そこを入り口にしていらっしゃる人々が求めるものと、時にズレが生じることがある。時代が自然に変化をもたらしてくれると言う人もいるかもしれない。けれど、人類史のどの時代を見ても、「自然に変わって行く」なんていうことはなく、活動し、働きかけ、発信する人々からの刺激があり、集合意識が変化して行くもの。そして自分がその流れの中で、何をしたか、あるいは何もしなかったか、によって・・・自分が乗っている現象界の層は常に、波のように変わっていく。

ヒーラーとは、日本語で言えば「治療家」

アルガンザで関わって来た人々の中でも、自分がヒーラーなのか、何なのかと悩み出している人たちが少なからず。私自身もこれは、長年常に頭の中にあるテーマだった。「治療家」なのか、または「教師」なのか。その両方か、あるいは別のものなのか。

「スピリチュアル」の括りの中に在ると一般的には考えられているレイキやエネルギーワークの世界を、今後どう扱って行くか、は、それを実践している人、学んで来た人それぞれが、自己に向き合い、答えを出して行くことになるだろう。エナジーワークが「ヒーリング」というジャンルの枠を超え、あって当たり前のものになる。ヨーガがここまで、普及したように。ヨーガはヨーガで、スピリチュアルと同じで様々な層が混在しているように見えるが、きっとそこでもこれから、変化が起きてジャンル全体が変質して行くような動きが生まれて行く(あるいはすでに生まれている)のかもしれない。

そんな時代が来ている、と感じる2018年の春であ〜る。

Love and Grace

Amari