Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

秘密の花園-- 再生の力

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インスタグラムにも乗せていた、近所の八重桜。初めて出会った2年前、見たこともないような美しさに圧倒された。今年もタイミング良く、満開の様子を見ることが出来た。白とマゼンタが同じ木に咲いていて、さらに青空とのコントラスト・・・ライトグリーンの若葉も加わって、何とも女神的。

先日書いた「敬愛なるベートベン」と、同じ監督作品ということで久しぶりに見ていた「秘密の花園」。製作総指揮という形で巨匠・コッポラが関わっている。原作は有名な児童文学で知っている人も多いとでしょうけれど・・ざっとストーリーを。

インド駐在イギリス貴族の家柄で、お姫様のように育った、けれどパーティ三昧の両親には放っておかれ、「泣いたことのない」少女メアリー。インドの地震で両親が亡くなり、イギリスの親戚の伯爵家へ引き取られることになる。そのクレイブン伯爵は愛する妻(メアリの母の双子の妹)を数年前に亡くして以来、心に愛も希望もなく、ほとんど鬱状態。実は妻が残した息子コリン(メアリの従兄弟)が居るが、病気だからと部屋に幽閉状態。コリンは生まれて一度も歩いたことがない。

コリンの存在はメアリには隠されていて、屋敷は伯爵の心象を表すように重くて暗い空気に包まれている。メアリの叔母が大切にしていた花園は、あるじの急逝により扉が閉じられ、鍵がかけられ「封印」され、植物たちは枯れ果てている。

ポニーに乗った近所の庶民の少年ディコンは、まるで小さなお爺さん、長老のような存在感を見せる。メアリと、コリンをさりげなく支え導き、メアリは少女の中にある母性を開花させ従兄弟のコリンを癒し励まし、大人たちに「封じられ」部屋から出たことのない、歩いたことさえないコリンを外の世界へ。。。大人たちの手厚い配慮で歩けなく「されていた」コリンは、メアリとディコンの、知識ではない直感的な導き(=子供ゆえの純粋さだからこそキャッチできる魂からの知恵の降下とも言えるだろう)で生命力を取り戻して行く。

彼は実際には病気ではなく、大人たちの知らないところで、歩けるようにさえなって行く。ディコンは上流階級の姫・王子であるメアリやコリンが負っている傷や重さとは無縁で、ただまっすぐに大地のように、太陽のように存在している。自分の欲望や不満などはなく、メアリ、コリン、伯爵が癒されて行く過程を遠い位置から見届けると、満足したように微笑み、ポニーに乗って去っていく・・不思議な少年だ。

少年の脆さをコリンが、少女の強さと母性をメアリが、それぞれの双子の母からの流れを象徴するように体現する。この二人は同じように傷を追った、貴族の少年と少女。対のようでもある。そして、同じく病んでしまった伯爵・・・コリンの父親は、メアリとの出会い、彼女が中心となって死んだ花園を蘇らせるという子供3人の密かなプロジェクトにより、長い鬱状態から目を覚ます。

コリンとの親子の再会。そう、同じ屋敷にいながらも、同じ世界にはいなかった。伯爵の時間は妻の死とともに停止し、コリンは封じられ、花園と同じく生命力を無いものとされていた。メアリという女性性、母性が入って来たことから、死んだ花園は蘇り、伯爵は目を覚まし、コリンはようやく生きることになった。その時に初めて、複雑な想いが入り混じったメアリは涙を流す・・・初めて泣いた。伯爵は長い間忘れていた笑顔を取り戻した。

子供たち3人の手で、再生された花園に満ちる新たな生命力。行き交う動物たち。生きるということ、命、育む力、育つということ。太陽、笑顔、そして涙。その当たり前のような営みが失われていた伯爵家に、全てが戻った。使用人たちも、喜ぶ。

使用人の人々は、結局は主人、ロゴスである伯爵とその息子のコリンの指示を受けるばかりで、女主人を失って以来、生命活動を止められた屋敷の陰鬱な空気をただ受け入れて、働き続ける。ロゴスである伯爵を目覚めさせるには、メアリが必要だった。女性性、女神の再生の力、豊穣の力が、少女であるメアリから発動したのだろう。

女主人の死により封印された花園、伯爵の心、息子であるコリンの生命力。

メアリの両親の死という現実からの、彼女の旅の始まり。逆・英雄譚。世界の神話には度々、少女や幼い姫が冒険を強いられ、難局を打開していく物語がある。伯爵、コリン、花園、屋敷の人々・・・が、その良き影響を受け、命を取り戻していく。

ただ、メアリの背後には、それらの成り行きを全て見通しているような不思議な少年、ディコンがいる。動物たちとも話せるようだ・・・まさに長老。アーサー王伝説でいうマーリンの少年版のよう。さらに上の階層のロゴス、といったところだろう。

先日触れた「青い鳥」と同じく児童文学が原作ですが・・・子供の頃も、大人になってからも、小説や文学作品を読むことがほとんどない私なので、映画の美しい表現に感じ入るものがあった。皆さん、とうによく知っているお話であれば申し訳ないなあと思いつつ。。。

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最近は、非二元、ノンデュアリティが話題として流行りのようだけど、では二元とはなんぞやというと、善悪などのモラリティではなく、生命を生み育む力と、その逆、枯れさせ萎えさせる力、と、アルガンザでは定義している。闇の力というのは、本来そういうものであると。闇=病み ゆえに。どうせならば育み、元気にしていく道を選択して行きたいもの。「愛」も然りで、活性し、癒し、アニメイトすることで創造を行っていく、維持していくのが宇宙的な愛のエナジーであるし、それはただ一つの宇宙の法則であると言える。

Love and Grace,

Amari