Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

潮の流れの変化

生き生きした時代は戻って来ない。当たり前だと思っていた空気が、もう存在せず、いつの間にか、違う現実をセットされたような感じだ。違うプランに切り替えて、ディスクをセットし直したような。その変わり目、というか最初の数年は、まやかしのような力が強まることを、敢えて放置したような状態だったのかもしれない。多くのソウルグループ、ソウルリンクが撹乱され、ライトワーカーたちは散り散りになった。

 

同じ方向を向くはずの・・少なくともその可能性を持っていたはずの魂の仲間たちが、相反する力に囚われて引っ張られていく。どこにもなびかず、絡めとられず、ただ自分の信じて来た道をそのまま歩もうとしていた人びとは、逆風のような苦しさを味わったことだろう。

言葉が通じ合わず、エネルギーが噛み合わず、逆シンクロが起きて、道が分かれていく。ライトワーカー? 本来は向かう先は同じはず。窮屈に感じないで、そんな誤解をしないで。ただ宇宙の創造の仕組みに、私たちは還っていく。見事なあやかし、魔術や幻想の力がこの世界を取り巻いて、色々な選択肢があるような気にさせてしまう。スピリチュアル、の向かう先はひとつしかなく、人間とは物体ではなく動物でもなく、魂である、神と同じ愛がその中心にある・・ ことを思い出して、そこに回帰していくだけ。

 

なぜ、色々な選択肢があるというのだろう?また、実際の方法論の選択肢を、束縛されている、というような誤解を抱くのだろう。・・各自のそれは性癖や幻想やインナーセルフによるもの。大事な部分は何も変わらない。歩む途中で、恐怖や混乱が生まれたからといって、楽をする方に流れていったとして、自分が歩んでいた道を過ちだったと処理してはいけない。自分が逃げているのだと、ちゃんと悟って逃げていくなら、それでいいと思う。正しく学んでいる人々は、誰もそれを止めない。みな、優しいから。

 

やはりタイムカプセルを開くような時、なのかもしれない。いろいろな時間の記憶、記録を、振り返ることが多い。

来年は、1ヶ月、1ヶ月、どんどん世界のエネルギーが変わっていくような感じになるのかもしれない。

この五年くらいの撹乱のメカニズムも、飽和状態からの、一気に潮の流れが変わっていく気がする。それでも、やっぱり、生き生きとした、安全であることを前提としたような時間は返っては来ないだろう。人々の深刻さや思慮深さが足りていなければ、世界はそうさせるための現象を次々と出してくるのだろうとも思う。

先日のInfo「月のセラフ」記事の補足を少し。

シュタイナーのカルマの話。上級三体の天使たち(シュタイナーは「神」と言っている)セラフィム、ケルビム、トローネ(アルガンザではこれをエル、エルフとする)との、中間生と現世の関係について触れたが、私たちがこの世の人生でどう生きたか、のデータ、情報が、私たちが死後〜次の転生に降りるまでの間の「神々」の体験、現実に、影響するとも言えるそうだ。

ジェネシスでは、天使たちの堕天、エルフやセラフ、ケルブとしての苦労話を私たち自身に反映される原型として扱っているけれど、その逆が、死後の中間生で展開するということ。いや、もしかすると未来生としてのそれ、を、ジェネシスで扱っているとも言えるかも。そう・・だって、時間は直線ではないから。思っていた以上に、ジェネシス層はすぐそこにある現実、なのかもしれない。今生きる中でセラフやケルブのカルマに向き合っておくことで、このあとすぐにやってくる中間生で、自分自身の投影されるそれらの天使体験の、質が変わるのではないか、と。

 

前回日記に書いた私自身の、「白い聖堂」で出てきた「アトランティスの過去生」も実は、未来生か、すぐ最近、ここに生まれて来る前の体験(時系列ではなく)ではないかとその時、思ったくらいだった。今世、自分がヒーラーとなったことで出来た(発生した)「新たな過去生」のように感じたからだ。未来のパラレル体験が、時間軸としては過去にあたるアトランティスにある。そんなこともあり得る。

ヒーラー・・でもあり、職業的な聖職者である師匠と、弟子の少女。どちらも自分であり、行き違ってしまった師匠と弟子、双方の魂が今の自分に入っている、という設定だった。私は月の星座(前世を反映すると言われる)が乙女座。その「前世」の師匠はまさにそんな人で、女性聖職者で自分が信じる神なる光に徹底的に自分を捧げているようなタイプ。そんな師匠に育てられた少女の私は、どことなく今の、水瓶座の自分をそのまま投影したような雰囲気。悪気なく自由な発想をして、見出して育ててくれた師匠と道を分つ。それも子供だから余り深く考えてはいなくて、関わった大人たちの指示に従ったような。

師匠はその後、大変な道を歩むことになったよう。殉教したのかも?しれない。

成長してから、自分のした事の意味にやっと気づいた弟子の少女。彼女は聖職者にならず、学者のような立場で生きたよう。自由だったけれど、恵まれて幸せに生きたけど、申し訳ないという感情を長く引きずった。どちらも「私」であるけれど、どちらも、私が今世関わった多くの人々でもあるようにも思う。そのパターンを、今世、ミニチュア体験して、双方が自分だから、双方のパターンを、ヒーラーの仕事や立場を通じて体験したり見聞きしたりした気がする。

 

ゆえにこれも、本当に私個人の前世である、というよりは、ひとつの神話的物語のように受け止めている。何と言うか途中で最近、急に作られた過去生のようにも思えるから。実際にそういうコト、高次は・・ソウルシステムは、やっていると思う。私たちの選択で常にパラレルに切り替えられたり、過去生や未来生のパターンも、組み替えられたりするのではないだろうか。と、私は思っている。

要は、癒しや解放、浄化の体験を通じて決められている学びの要素をひとつひとつ、積み上げていくために、システムはその時々、必要なものを「挿入」していく。セッションで出て来る情報もそういうものだと私は思っている。・・が、これがクライアントさんたちに伝わっているかは分からない・・何と言うか、スピリチュアル一般の語り口が、ひと時代違っているようにギャップがあるから、そこで教化されると、かつての私もそうだったけど、ソウルシステムのような多層構造とは噛み合わない情報(二次元的)として語られてしまう。

 

アカシックレコードも、全体的な記録ではもちろん無くて、人類のアストラル(感情・情緒)レベルの集合意識が、「だいたいこんな感じ」という共通の歴史認識のようなものを、刻んでいる集合場のようなものと考える。それだってもきっと、刻々と必要に応じて変わったり、修正や変更が入ったりしているのではないかと。そうそう、ネット上の情報、とくに「ウイキペディア」のようなものだと思えばいい。書き換えたり編集したり出来、絶対的な内容である訳ではなく、誰かが投稿し、また別の誰かが修正したり書き加えたりしている、いつでも変更され得る共有情報。

いろいろなことを突き詰めていくと、やはり自分自身を清めていくという意図とともに、日々を無駄なく生きることだ。

今日1日、自分自身が楽しく生きたかどうか・・・ではなく、心を清めて生きること、日々を無駄なく生きることを(楽しいというより)ただ喜びだと感じられるのだとしたら、あなたは幸せだと言えるだろう。

 

シリウスの赤、清く澄んだ赤とともに。

2次元や3次元的な、個体化した情報を伝えるのではなく、5次元感覚そのものを開拓し、物事、現象、自分の感情思考含めて、量子物理学的に一粒の中の奥行き、小さな原子の中に含まれる情報を感じ取るようなセンサーを拓いていくことに、自分自身も学びを強化したいと思う。

Love and Grace

Amari