Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

分かった気になってはいけない

前記事では、たまたまの仕事の流れで過去3〜4年を振り返っての雑感になった。今日はこの一年を振り返って・・その1(笑・つづきがありそう)。←2022年12月のDiary

今年も色々な気づきがあった中で、何度も繰り返すように体験し、心で呟いたこの言葉「分かった気になってはいけない」。さまざまな場面で。

ヒーリングを初めて19年、ヒーラーになって16年、その前に仏教信仰として自分なりのメタフィジカル体験を10年、つまり30年になるけれど、見えない世界に関して「もう分かった」なんていう気になってはいけないのだという事を、自分が体験し悟ったものなんてごくごくサワリでしか無いというこの世界の奥深さを、噛み締める場面が今年は多かった。

とは言え、今のように私が発言して読んだ方が想像する意味とは、実際は少し違うと予想される・・ので、説明をしたいと思ふ。主に主題はふたつ。

 

ひとつは、前にインスタに書いた事でもある、「何故わからないのか?」の答えを、ジェネシス的な背景を通じて理解していったと言う事。インナーチャイルド等現実的な原因が今世にはさほど思い当たらないごく平凡な環境に生まれた自分が、何故か最初から(初回は確か2歳くらいから)間違って凄い世界にきちゃったな、という感覚と、成長してからはこの人間界の仕組みに苦悩して、肉体(病む事など)や感情のメカニズムを理解する事が出来ず、

更にはアルバイトや就職をした時、「なぜ生活するのに働かなくちゃいけないんだ?このシステムはなんだ?」と苦悩し、とにかく人間らしい事が普通に受け入れられず、結果、19歳から仏教信仰・修行、神社仏閣巡り、執筆、人文系の分野の独学・・と何とか生きる為の世界への解釈を探して、一度ウツに落ちたけれどそこから救ってくれたヒーリングというものに、30歳前後から携わるに至り、

 

今世で何があったから、トラウマがあり癒しを求めた、という訳でもなく、少しくらいはインナーチャイルドもありつつ、それも親というよりも社会の仕組みに傷ついたような自覚をしていた。ただただ、この世界に疑問を持ち、絶対に染まってはならぬという信念のようなものがあった。自分のその「守らなければならないもの」を追求していくと、癒しの世界、魂で生きるという話に自然と行き着いた(ちなみに仏教信仰は29歳まで。信仰では人は「幸せ」にはなれないと悟り)。

前置きが長くなったけどつまり、こんな人がなぜわざわざ生まれ落ちたかというと、やるべき事があったから、なのだろうと、歳を重ねながら思うようになった。

「絶対に染まってはならぬ」=宇宙人意識、別次元意識を、守り続けて、三次元のこの時代のグラマー(幻想)とそれに付随する人生を取り巻く要素に、ただ染まって普通の人として楽しく生きました・・・では、ダメだと言う事を、恐らく無意識的には最初からよくよく理解していた。けれど年若い時はそれをどう現実化していいのか、分からずに苦悩した。

 

正直なところ、信仰をしていても、ヒーリングを始めても、自分が疑問を抱くことの答え、ニーズは、人から得ることは出来なかった。自分で見つけなくてはいけないし、自分で「こんなものが欲しかった」というワークなりテキストなり、ショップなり、更に言えばライフスタイルを、形として実現していくという道が、「魂として生きる」事を始めた時に自然と私の前に敷かれた。

長年、癒しの手法やその背景となるホリスティックな概念による地球や宇宙への視点と出会ったり、ヒーリングを始めたり、伝授を受けたりと言う事を経ても、それが定着せずに弛緩していく、人によっては反発して辞めてしまう、つまり「真実の世界に触れているのにそれが分からない」とか、「流れが来ているのにほら、なぜ降りてしまうの?」という問題を、ジェネシス論、アルガンザ流秘教研究によって、ようやく私の視点から理解した、という事。

 

恐らく(今世でも上記の10年間だけ実行したものの)過去生で多方面の哲学的探究や修行、神なる世界との関わりを経てきて、寧ろ普通の人間としての感覚が分からない状態で生まれて来て、けれど自分の仕事を通じて意味のあるものを残すには、人が・・多くの人が、「進化していく」「創造主に向かって回帰していく」方向へ行かずに漂ってしまう、絡めとられてしまう、というメカニズムを、魂は知ってはいたものの、本当に人々の中に入って、特にヒーラーとして関わることで、ようやく実感を伴って理解した。「人々の気持ちが分かった」という次元では無く・・ヒト、輪廻転生、それらの仕組みというものを理解した、という。

その一方でもちろん、一個人としての自分の情緒などもある訳で、そのヒューマニズム、優しさや人間愛の運用と、スピリチュアルな状況への理解の間のズレが、ヒーラーの仕事をしていても次第に生まれていたのだろう。そして今思うのは何も自分だけではなく、この分野に携わる、あるいは別の分野でも、同じような人生の味わい方をしている人々、魂はけっこう居るということ。ただ、そのような人たちは皆自力で、周囲に分かりやすく道を示してくれる人など居なくて、自分の知恵と力でやって行けよと言われているタイプなのではないだろうか。

 

自分自身の癒しの道をモデルタイプとして、「人間界より自然界寄り」の、スピリチュアルには比較的多い人の原型を「アンドロ」と呼び始めた事の発端は、恐らく「サンダルフォンニュートリション」のワークが出来てからの自然な流れだった。サロンを始めると同時のこと。当時は「シリウスっぽい人」「アンドロっぽい人」「う〜ん、ちょっと混戦している人々」というくらいしか整理できず(笑)、そのうちにアンドロからセラフ、大天使、精霊界、エンジェル、エルフ族、などの原型も出て来た。少し遅れてケルビム、なども。

まだまだ分類している段階。けれど「ジェネシス」をまとめていくに連れて、周囲でどうしても分類、線引きが起きるようになり「私はケルビム」「私はセラフ」と、なりがちになったり、時に、真にアンドロっぽい人だとその原型にむしろ自分を寄せて行きたいという雰囲気になったり、自分もそこに入りたい・・などの空気や、疎外感からリリス的になる傾向も見られるなど、ああ、ジェネシス概念により理解を進めようとしているはずなのに、

意識が三次元のままでは、ただただ、三次元に情報を下ろしてしまうだけなのだ。。と、感じてきたこの数年。

もちろんそれは起こりがち。どんな分野でも起きてしまうこと。

カレッジの趣旨もそもそも、その課題を乗り越えていけるように作ったもので、ヒーリングやスピリチュアルを、三次元に引き下ろして自分に都合よく利用するのではなく、自分自身が5次元意識に成長していく、そしてシステムごと変えていく・・べし、という。星巫女プロ専科コースは更にそうだった。

 

もうひとつの主題

アンドロ、というものを何と無く定義したその頃、自分自身がヒーリングと出会う前に抱えていた多くの問題とその背後に存在していたエネルギーブロックはすべてきれいに片付き、何のストレスも不安も迷いもなく日々を忙しくヒーラーとして過ごしていた。その後、同じようなタイプの方々が少しでも楽になって貰えるようにという時代が数年。自分の経験を生かして、誰もが同じように変わっていけると信じていた時代。

その状態で数年を経た時、「もう自分がアンドロ、のテーマに関わるために膝を折り、目線を合わせて、伴奏するのは終わり」とか言っていた時期があった。ブログなどにも多分書いていただろうと。けれどそんなに甘いものではなくて、まだまだやること、知るべきことがあった。

数えてみた・・・・5年くらいサロンで「アンドロ」を課題とした後、「もう卒業」と呟いてから、さらに今まで10年は経っている。もちろんあの時の「もう卒業」は、私自身のエゴが、自分はもう次のステップに進みたいという心情ゆえのこと、だったろうと思う。

 

そんな呟きやパーソナリティの願望・・を抱いてから、なんと10年。皮をむいてむいて剥き続けるうちに、「アンドロ」の最後に残るものはすべての中核「セラフ」であり、2017年の春、ジェネシスヒーリングの第一世代伝授のワークショップ、最終日の最終段階で起こった不思議な出来事から、実は自分が「セラフ」還りし、それまで奥に隠し持っていたような「セラフ」を引き出して、役作りに入ったよう。

2022年、年末。

ジェネシスのバイブル「the Genesis」改訂版を三年ぶり(23年前半くらいには?)に出す。今度はもしかすると?一般の方々にも解放するかもしれない(アルガンザワークのお客様限定にするか、まだ検討中)。そのための怒涛が今また来ている。左脳的分類では、対極にあったようなリリス(先日書いたイワナガなど)、シャンバラと相反するブラックマジック、「ここが分からないと片手落ち」と高次に言われていた「プレアデス(=リラ)」などが、すべて「セラフ」に帰結する。

当然ながら、セラフから作られている大天使、エル(エルフ)、そしてケルビムも。

・・・と、長くなったので一旦ここで区切り、別の記事に分けることに。

 

Love and Grace,