Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

「ミカエル時代」を生きるとは

エルフ界の癒しが起こりやすいと毎年繰り返し言っているこの時期。エルフ=エルと呼ばれるものたち(男性集合意識:エロス/女性集合意識:エロヒム)とは、言い換えれば、文明の主「マヌ」たちとほぼ同じ立場で、人類と関わって来ている。ロゴスとそのもとで働く「神なる世界」と、魂たちつまり今は人間として生きている生命圏の間に在って、進化の全体的プログラムのために「神々」とともに働く者たち、であるゆえに。

エルフ界=自然界 と限定せずに、マヌの視点での考え事も、この時期増えてくる。そんな折、たまたま手にとったシュタイナー本(シュタイナーは著書というより講演録が多い)に、訳者(シュタイナー研究第一人者でもある)高橋巌先生が、2020年の12月に京都で行った講演録が添えられていて、それが興味深く、メモしておきたいと思う。

 

20世紀は決定的な歴史的変換点だった。シュタイナーの観点でそれは「時代霊」という、その時代を特徴づける聖なる象徴的存在が変わるということ。以後、私たちは「ミカエルの時代」に生きている。ミカエル文化とも呼ぶべき、その時代の人間たちが目指す、心がける意識の在り方とは、日常の中の物質的、現実的現象の中に常に霊の世界、「神」の法則のようなものを感じる、という境地や態度とのこと。

この時代霊というものは、「対象化して考えてもどこにも見当たらず」、「関わって、結びついて、それを自分の問題として受け入れた時に初めて、向こうから与えられる何か」だとのこと。

例として挙げられていた三島由紀夫。ほか、思想家と呼ばれる人たちや、識者の著書などにもよくあるように、その時代の特性、風潮、向かおうとしている先を、憂いたり批判したり、時に三島のように嘆いたりしながら『関わる』そして『結びつき』、『自分の問題として受け入れる』ことが叶った時、その「時代」という霊的なエネルギーが、自分が何をすべきか、もしかすると自分が何者か、も含めて、答えをくれるというのだ。

 

このお話に深く納得出来た。ここを卒業できないと、同じ時代霊の時代、つまり「ミカエル時代」の課題を消化することが出来ず、何度も生まれ変わるのかもしれない。それでも卒業できなかった魂は、またいつか巡ってくるミカエル時代に宿題を持ち越すのかもしれない。。

思想家でも無いけれど、この時代と関わり、結びつき、自分の問題として・・ということを、今世ではなぜか若い頃からやって来ているかもしれない。同時に、20歳頃からは三島由紀夫に傾倒した時期もあり、ちょっと危ない程だった。高橋先生は三島と少し交流があったそうで、話の中では、「時代と関わり、結びつき、自分の問題として」受け入れる事が出来なかった為に、あのような方法(最期の選択)を取らざるをえなかったという例として語られている。

 

確かに確かに。私は若い頃にはそういう人々に妙に惹かれたのだ。違う時代であっても、たとえば殉教者や、近代近世の夭折する芸術家など。

時代霊の課題を、自分のこととして「関わり」「結びつき」、挫折した人々に惹かれた(同情した)、と言い換えることも出来ると今回思った。恐らくそんな過去生が多かったのだろう。

多くの魂たちが、大衆的な精神状態から目覚めた後に、これらのステップを踏むところまでは比較的、簡単なのかもしれない。知性と勇気が少しあれば。

けれどその先、時代の様相を「自分の問題として受け入れる」という段階が、大きな壁なのか。課題はそれだけではなく、なおかつ、時代のニーズによって答えをもらった「自分という魂」の活かし方を、実際に生きるべしという。

ミカエルというと「正義」の象徴のようなイメージもある。けれどシュタイナーは、ミカエルからルシファーが別れたと考えているし、ミカエル文化の精神というのも、決して二元論とは違い、「すべての人が日常の中で」目覚め、霊的な意識を磨いていく時代であると特徴付けられているよう。そして、地上にあるものに全体性を見出していく・・と、スピリチュアルでもよく言われているような時代、つまりは「ニューエイジ」の特徴を先にシュタイナーも語っている。

 

そこで思い出したのが、確か「星巫女プロ専科」のテキストに書いたように思うけど(違っていたらゴメンナサイ、、)物事の中に「奥行き」を感じられるかどうか、それはつまり、多次元性と言い換えることも出来るが、私たちという存在の仕組みが多次元的であり、この小さな自我をいかに超えていくか、この世界や、自分の思考活動(感情はもちろんのこと)という幻想を超えていくか、が大事であって、

三次元の世界の広がりの中で、何が、誰が、正しいとか、正義だとか、と言っているうちは決してここから抜けられないということ。

もしかしから誤解されているかもしれないと、よく思っているのが、アルガンザの『ジェネシス』世界観。そしてヒーリング体系もそうだけど、私自身はなぜかベースに仏教またはその基盤であるインド思想の宇宙観に近いものが元々あって、ヒーリングを始めた時から、「ヒーリングやエネルギーの世界の法則は素晴らしく人間を救い、また変容させてくれる。」その事を追求していく・・・一方で、これは今の私たちに有効なだけであって、「地球の物質的人間」という体験が終われば、必要なくなると思っている。

宇宙的な絶対真理という意味ではなく、私たちのソウルシステムの中に埋め込まれた情報(カルマ・ネガティブなエネルギーブロック・制限・抑圧など)を解いて昇華していくために、必要な「物語」であるという意味で、ジェネシスも最近はよく「神話」と表現している。

高橋先生も講演の中で、シュタイナーのいう「ミカエル」などの言葉も、ある種の物語、あるいは象徴であると自分は考えると仰っているところ、とても頷けた。

 

そして、このような話というか感性、感覚が、なかなか伝えるのが難しいということも、長年サロン、スクールをしてきてよく分かっている。が、肉体や自我というものと、スピリチュアルの世界に橋をかけるのがこの「ミカエル時代」の主題であるというのだから、まさにその難しさに取り組むということは、必要な学びをしているのだと、しみじみ思った。

時代の課題を自分のこととして、悪戦苦闘する・・・(自分の生き場所で自分なりに、で良いのだと思います)それによって、この時代に生まれて自分が何をするべきか、つまりは魂の使命のようなものが、自ずとやってくる。とのこと。

まずは、世界で起きていること、自分が生きている時代に対して、意識をオープンにするところから。ある意味で、パンデミックによって強制的にそのフタを開けられているのが、今、なのだろうと思う。

 

Love and Grace

Amari