Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

イギリスのこと

エリザベス2世女王陛下の御逝去にまつわるニュースを、日本では翌朝になるのかな、なぜかその日はアメリカでも日本のニュースでもなく、BBCを見ようと覗いて知った。6月の在位70周年の記念イベント、コンサートなどもBBCで(世界的アーティスト達がぞくぞく登場するので)目を離せず、長時間見ていた記憶もまだ新しい。

ごくごく個人的な、イギリスについての雑感を書いてみよう。というのも、ウクライナ戦線が始まった時、「ロシアのこと」として、ロシアにまつわる自分史的雑感をここに書こうと思っていたので(まだ実行していないけど)・・今回のニュースをキッカケに、振り返ってみる。

現生を生きる私にとっては、イギリスに実際に滞在したのは7泊8日、一度きり。24歳の夏、一人旅だった。ただ、心理的な、理由は分からないけれど直感的なイギリス、というメタフィジカルな枠でとなると、けっこう色々と浮かんでくる。まず、最初に個人的に抱いた、英国への感情というのは、「怒りと嫌悪」だった。思えば不思議なことで、むしろ過去世で繋がりがあったからこその反応だったと思う。

前にも書いたように、歴史ものの少女漫画や、日本の時代劇が好きな(笑)子供時代で、今思えば、要するに歴史が好きだったんだろうと思う。そんな私が、高校時代に専攻した世界史に没頭するうちに、フツフツと湧いて来た感情が、思春期特有の極端な反応も手伝って、「今在る世界的な問題はみな、かつてのイギリスのせいではないか」という反感だった。思春期の子供が親や大人の社会に対して抱くような、ちょっと頑固で視野の狭い感情に過ぎないが、当時の自分にとっては、日本社会への嫌悪感とともに、かなり強く抱いていた感情だった。

当時は、オリエントやグレコローマンイスラム文明、古代中国や、チベットシルクロード中央アジアの歴史、ネイティブアメリカンの文明、などに好感を持っていたため、まあそうなるかもね、という筋ではある。でもアメリカ合衆国が大好きだったので、矛盾してはいる。(笑・いかにも若者)

 

それが不思議なことに、イギリスへの反感やある種、逆恨みのような(笑)若い怒りは、24歳で渡英するころには全く消えて無くなっていた。理由は定かでないけど・・19歳から仏教信仰をしていて(〜29歳まで)、過去世のカルマに向き合う修行なども個人的に続けていた中で、イギリス人としての過去世のようなものも実感されて、国が嫌いで、「脱出!」と世相に乗ったこともあってアメリカへ移住したような人物を、当時よく見ていた夢や、修行中のヴィジョンとして体験していた。

ニューヨークが好きで、初渡米として21歳の時に、短期留学をしてとにかく楽しくて幸せでしかたなかった訳だけど、ニューヨークの摩天楼の、意外と実は100年以上を経ているような古いビルの雰囲気が好きだった。街の作りも古風で、無秩序な日本の街とは違い、平安京平城京のような碁盤の目のようなアヴェニュー&ストリートは心地よく、中央にセントラルパーク。なんて素敵な街だろうと。世界中の人と文化が集まっている。

白黒映像で見るような19世紀後半あたりのニューヨークにも、反応する所があった。19世紀〜20世紀初めにかけては、多くの移民がヨーロッパからアメリカへ。その玄関口はニューヨークシティ、マンハッタン島だった。そのあたりの記憶がとてもある。ゆえに、イギリスが嫌いなイギリス人で、ニューヨークに向かったのだろうと、信仰時代に自分の過去世のひとつを自覚していた。恐らくもっとも最近の過去世だろうな。この頃は、神智学協会の先人たちも多くアメリカに移住している。

ニューヨーク旅行から3年を経て、今度は仕事の夏休みにロンドン・パリへと一人旅をすることに。1997年。本当はパリに行きたくて、でもパリは敷居が高く、終盤の3日だけ滞在。ロンドンには確か7泊8日、週単位で借りられるウイークリーマンションのようなものを借りて滞在。毎日自炊しなくてはいけなかったけど、大概は地下鉄の駅近くのサンドイッチ屋さんでカスクートのようなものを買い、ハイドパークに行って、半分だけ食べる(大きいので)。残りの半分を持ち帰って、夕飯にする、みたいな生活をしていた。日本国内の一人旅でもいつも割とストイックな旅をしていたので、それで大丈夫だった。

美術館や博物館を巡り、ミュージカルを見て、多少の観光スポットにも行き。ただ、私のロンドンの印象、感想は「つまらない」「刺激がない」「なんか盛り上がらない」というもので、決してイヤではないのだけど、馴染み過ぎて、普通過ぎて、ワクワクしないというものだった。きっと、前世で住んでいたのだろうと思う。。東京のほうがよほど、居心地が悪くて緊張感がある(笑)。街並みや漂う雰囲気も、先にニューヨークを体験してしまったため、退屈に感じられた。でも、住むには良き、と思った。(その後向かったパリには、マンハッタンと同じようなワクワクや興奮があった)

 

パリからの帰りの飛行機、チェックインの際に「空いているから」とビジネスクラスに乗せてもらうという嬉しいギフトも。隣に座った日本人ビジネスマン(パリ在住とのこと)の方と、妙に話が盛り上がってしまい、聞けば獅子座生まれ、私は水瓶座。この組み合わせはワイワイと盛り上がり、楽しくなりがち(でちょっと危険)。そのおじさまがず〜っと、JALの素晴らしいおもてなし、ビジネスクラスの美味しいワインや夜食を次々と注文し、「お嬢さんもどうですか」というので、ちょっとした小さな宴、状態。そのうちに、キャビンアテンダントの方に注意され、ライトを消されてやっと黙る。

ヨーロッパを熟知するおじ様の楽しい話の中に、「イギリスは女王が居るということだけで、国民が深いところでの安心感、安定感を抱いている。アフリカ系の人々も、パリとロンドンでは全く違う」と。確かにそれはその通りだった。ロンドンの人々は、人種はどうであれ「イギリス人」をまとっていた。日本もそうだけど、ロイヤルファミリーが居るということが、いかに国際関係上、有利で、国民がその恩恵を受けているか。を、説いてくれた。そうか〜・・・と、当時まだ遠い存在のようだったイギリス王室のことを、その時、少しだけ身近に考えてみたりもした。自分がイギリス人であれば、どんな風に今の王室を捉えているだろうか?と。

その旅から、日本での日常に戻り10日ほど経ったころ、ダイアナ元妃の事故のニュースが。ロンドンに滞在し、バッキンガム宮殿前の広場でのんびりと過ごしたり、飛行機での講釈から少しだけイギリス王室を身近に感じるようになっていたタイミングでのその衝撃で、尚更に、英王室の歴史などを改めて学んでみようと思うようになった。パリにも滞在し事故現場近くも体験していたので、驚きも身近さも、普段の自分が感じたであろうものよりも、強まっていた。

その後ゆっくりと時間をかけて(子育ての時期など中断も経て)、映画観賞をする際には自然と、イギリスの歴史もの、王家の周辺を描いたものが多くなって、我が家にはちょっとした「イギリス王室コレクション」の映画DVDがあったりもする。。。

 

とはいえ、日本の一市民として、やはり距離があり、もっと詳しく入り込まないとその複雑な歴史的な全体像は理解できていない。

日本の古代史、天皇家のルーツ、古代の・・奈良朝くらいまでの流れは、個人的興味の雑学と、奈良への旅を重ねて体感として自分の中にあるような感じ。明らかに、双方古い歴史を持つけれど、内包しているテーマは全く違うと感じる。イギリス、現在のウインザー家の王統は比較的最近、ドイツから血縁をたよりに迎え入れられたもの。単なる血筋や家だけではなく、日本でも、イギリスでも、土地・・・に重要なテーマがあり、そこで展開するロイヤルの系統は、そのエネルギーを継承し(もしかすると秘されて存在している)神秘を、取り扱う担い手としての役目を引き受けておられるのでは・・と、思ったりもする。

 

日本とイギリス。ずっと前から一人でブツブツとこういう場所に何度も書いてきたけど、秘教的に、世界が維持される上でのキーとなる二つの土地、と感じている。

呼応しあっている。実はここで、バランス、のようなものが生み出されているような気がする。詳しくは分からないけど・・

日本の王統、皇統はどうなるのでしょう。このまま行くときっと男系が貫かれると思うけど、ここで変化を作る時、という気もしている。

Love and Grace