Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

想い出は魔法

ディズニー映画の中でもかなり好きな『魔法にかけられて』の続編の、ネット配信(劇場公開はしないよう?)の報せをツイッター等で見かけてから、半年以上。ようやく見ることが出来た。

主演のエイミー・アダムスについては、以前もブログで「魔法に〜」含めて三作品について語った記事あり。

 

それで、いつものようにネタバレ失礼しながら、メタフィジ目線で感想を。昨年11月の時点で予告編を見て、検索して口コミもザザっと見ていて、1が好きだからという以上に、2を見るのが楽しみになっていた。

初作の原題は Enchantedで、そのまま邦題は訳されている→「魔法にかけられて」(enchant 「呪文を掛ける」「魅了する」など)

で、今回の続編は日本では「魔法にかけられて-2」ということになっているけど、原題がまた面白くて『Disenchanted』。魔法に掛ける「enchant」の受身形だった前作に対して、それが外れた「dis-enchant-ed」で、普段この単語は日本語では「幻滅する」などの意味に訳される。

語源的には dis= 外れる、で、「呪いが解ける」という感じか。

 

初作ではまだ若いプリンセスであった主人公「ジゼル」が、二次元の世界から魔女に魔法を掛けられて三次元のマンハッタンに次元移動・・ニューヨークの弁護士という現実世界のエリート、それもシングルファザーの男性と恋に落ちる。そこに、ジゼルの婚約者である二次元世界(アニメ)のプリンス・エドワードが「助けに」やってきて、更にはその継母である邪悪な女王(笑)も追いかけて来て。

ある意味、ニューヨーク舞台のラブコメの形をとった、ディズニープリンセスの新たな境地で、セントラルパークや摩天楼など、ニューヨークの風景とともに進んでいく、けれどそのストーリー展開はとてもディズニーで、悪者を倒して(王子ではなくジゼルが倒す。。)、恋も成就。婚約者のプリンスではなく、弁護士のロバートと。

 

ロバートの恋人であるナンシーは、NYのキャリアウーマンという設定だけど実は乙女チック、ロマンチックな恋を求める女性で、登場するたびに笑えるほど「ディズニーの王子」を大げさにコメディタッチに表現しているエドワードに、意外にもときめく(笑)。そして二次元の花嫁になるという(!)。

このナンシー役が、歌うシーンすら無いのになんと、アナ雪で世界的に名が知られることになったイディナ・メンゼルが演じていて、当時は私も気づかなかったけど、後でブロードウェイの有名な女優さんだと知って、歌えば良かったのに〜勿体ない!と思っていたっけ。今回続編ではさすがに、たっぷりとイディナが歌うシーンがあって何より。満足。

(ちなみにアナ雪はご縁が無いのか、ビビっと来る事もこれまで無く、まだ見たことがない。笑)

 

メタフィジ視点で印象的だった箇所を幾つか。

まず、ディズニープリンセスの「型」をそのまま、アニメの二次元から、現実世界のニューヨークに移動させた、という点でまさにコメディ要素もある「ラブコメ」でもあり、プリンセスの様々な「型」をあちこちの場面やエピソードに散りばめた点が前作の魅力であり、多くの人に愛され支持された。

しかし乍ら・・私は「さすがディズニー、さすがアメリカ」と唸ったんだけど、恐らく続編にがっかり(disenchanted)された人々は、その「型」を崩されたことに「ルール違反!」のような気持ちになってしまったのかも。期待が大きい分だけ、そうなるのかも。

制作のブランクは15年だけど、設定は10年後らしく、当時7~8歳だった可愛いモーガン(ロバートの娘)は高校生のお姉さんに。思春期真っ最中らしく、おとぎの国?出身のジゼルにはそれが理解出来ない。何がいけないのかしら、今までは完璧だったのに。。と。加えて、ロバートとの実子の新たなベイビー(ソフィア)が生まれて、夫婦共働きのニューヨーカーとしての育児生活に疲れ果てたという事情もあったよう。。

そこに、「まさに現代のおとぎの国!」みたいな看板を見かけてその郊外の街へと引っ越すことに。続編はそんな風に始まる。

(詳細は、ぜひ、予告編を覗いて下さい。)

 

で、ヒーラーおよびジェネシス視点で深読み混じりに分析するに、

ジゼルがモーガンの思春期を理解できずに悩み始めた、という時点で、現実の周波数が下がる。そこに、見知らぬ街に引っ越し、家の修復が大変だったり、町内づきあいに戸惑ったり(強烈なおばさまがヌシとして君臨している・笑)そこで更にジゼルは悩む。

天真爛漫で、魔法の国出身なので、ある意味天性の魔法使い。ジゼルが歌うと動物が集まってくる、勝手に家が掃除される、みたいな。・・ところが、そんな彼女が更に悩み始める。こういう波動の高い人が悩みを抱えると、普通の人以上に、天性のマジカルな才能が、それなりの現実創造をし始める。(だからヒーラーさんはなおさら、日々の自分の心や意識に注意が必要なのダ)

 

「魔法の杖」を引っ越し祝いに故郷から貰ったジゼル、その杖で現実世界に「魔法の国になりますように」と願いごとをしてしまって・・続編の醍醐味はここで。三次元の「郊外の街」が、ディズニーで普段描かれる「魔法の存在する世界」にシフト。光と闇とがドタバタと・・そして魔法が自分に跳ね返った形で、ジゼルが何と(実際にモーガンの継母なので)「いじわるな継母」へと変容し始める。

気づいてもその変化を止められず、葛藤して分裂症のような状態になった彼女を、周囲の人々が助ける。特に決め手はモーガンとの10年間の愛の軌跡、絆という「想い出マジック」。

 

ジゼルの出身地(二次元)アンダレーシアでは、「想い出は最高の魔法」と言われているそうだ。

今回、配偶者との「真実の愛〜♪」ではなく、思春期を迎えて距離が開いたことに胸を痛めていた義理娘の、母への愛が、ジゼルと二つの世界(三次元も二次元も)を救ったという形に。

その時、すっかり良いナイスミドルというか、ちょっとまるで最近のハリソン・フォードを思い出させるような活躍を見せるロバート、新たなモーガンのボーイフレンド候補の少年、も、それを手伝っている所も良い感じ。

 

幻滅した、というタイトルは、ジゼルがこちらの世界の「そう甘くはない」現実に、10年過ぎてから体験した気持ちなのかな?と思いつつも、

「呪いが解けた」という意味での Disenchanted であるならば、ダークな継母に完全にシフトしてしまう直前になんとか、皆の助けでジゼルも世界も魔法から逃れたという部分もあるし、両方、掛けつつ、前作のタイトルを踏んだ絶妙なネーミングなのかもしれない。

 

そしてひとつ気づいたこと。「想い出は最高の魔法」

つまり、魂が呪われてしまった時。その人自身の愛や尊厳を思い出させることが大事であるという意味で、ヒーリング視点でも理にかなっている。ジェネシスヒーリング、レムリアントランスミッションほか、アルガンザワークもまさに魂レベルでそこ、その人の魂の本源を思い出してもらうような体験、光線、施術であると。

本日「ノストラム」の遠隔グループセッションを終えたところ。この映画を一昨日に見たのもまさに、天使の采配。

Love and Grace

Amari