Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

ヤマトの彦姫

今日書く内容については、前回の日記後から暫く、次はこの話題・・と思いつつ何故かいまいち気が向かずに。そして今日はいよいよどうしても書かなくては、という空気が来ている(この関連のエネルギーが流れて来ている)ので、区切るためにも向き合ってみる。

古代日本人から現代まで続く原型エネルギーの継承について、思うことを書いておこう。

 

「彦姫」とは、何が言いたいのかというと、人は国にかかわらず永遠の少年、少女であることは否めないし、純粋さと素直さという意味での少年・少女性はむしろ、私はとても良いこと、好ましいことだと思っているし、世の中に擦れたりこなれたりして「おじさん・おばさん」化するよりは、そういう方々が個人的にも好き。それとは別に、「依存心」という意味で、年を重ねても「男子」「女子」のままである、という性質が日本人にはありがちなのではないかと、常々思っている。

(他国の人々もそれぞれ課題は色々あるだろうと思う。が、日本の人々の癒しに関わる仕事をしているので、他国の人との比較が目的ではないことをご理解頂きたく)

 

最近は、SNS特にツイッターで女性たちの、家事と育児と外での仕事の両立における苦労を誰かが呟き、多くの人が賛同して盛り上がっているツイートを見かけたりもする。・・けれど、自分が女性として女性の中で生きてきて(友人関係)、ヒーラー仕事で出会うクライアントさんの多くも女性であるし、結果、思うのは、日本の女性たちはやはり「家父長制のもとで撫子」あるいは親指姫として大切に守られ育てられて来ているという事。結果として、ずっと「女子」であるし、結婚しても旦那さんが「一家のあるじ」つまり、父親の役目を担う事をよしとしている。

つまりは、日本は男尊女卑だというけれど、女性たちが、いつまでも「娘」=「姫」として守られているという風土がまだある。持ちつ持たれつの、「男子と女子」「姫と彦」の国、ある意味、文化・・と言えるだろう。

いざ、という時にはやはり、旦那様の後ろに隠れるだろうし、それが良しとされている空気もまだある。その分、母親としての仕事、子育てや家事のフィールドで自分が責任を引き受ける。結果として、夫の面倒も母親のように見ることとなり、その点で、夫はいつまでも「息子」であり、妻がある意味で「母代わり」であるという構図になる。もちろん例外的な人々は沢山いるし、昔よりは構図は変わって来ているのは間違いないけれど、夫であり妻である、反面、双方、相手が担当している分野について自分はタッチしない、とか、よく分からない、苦手なままであったりする。

 

以前、金融関係の方に聞いた話。日本の妻たちはご主人が先に亡くなった時、お金のことは特にどうしていいか分からず慌てる事が多いという。私のママ友たちは、プリンターのインクが無いとか、電球が切れたというだけで、それをご主人に頼むとかいう会話を前にしていたっけ。。これが更に、未婚の女性だとずっと「娘」のまま実家に居て、家のことは年老いていても両親が担っている、なんていうケースもある。男性側も同じくで、それは男の仕事じゃない、みたいな意識はきっとありそうだ。

シングルマザーたちも、うちは娘だから二人だけでの生活が始まる時に「あなたが手伝わないとママは自営業だからうちは破綻する」という現実を(笑)よく言ってきかせ、もちろん簡単な道のりでは無かったけれど、本人もちゃんと分かっていて葛藤しながらも、高校生くらいになると一通りなんでも出来るような状態になっていた(もちろん今でも私のほうが家の事をしているけど・まだ学生だから)。これが、お子さんが息子さんだと、シングル母たちは自分で家事を全てしてしまっているケースが多いようだ。

 

 私は「ハピの巫女姫」の執筆に至ったキッカケがやはり、フェミニズム、それもユング派心理学のフェミニズム系の視点をもった研究者の著作に出会った事がキッカケ。とはいえ、それは29歳の時で、その10年前、19歳の短大生の頃にオノヨーコさんで、今思えば同じ「女神的」「太母神」的なエネルギーによる開眼のような事が起きていた。ヨーコさんのあり方を見ていれば分かるが、女性が女神である=大人である という事は、人として(母としてではなく)自立した責任意識を搭載しているという事だ。

社会が敷いたレールの上を歩き、そこからはみ出さず、「人がしていることをしなさい」と教育されている日本の人々。ゆえに言葉遣いや表現なども複製して使ってしまう・・安心感があるからだろう。けれど本当は、人のマネをするのはまだ「未熟で経験の浅い」見習い・若者だからこそ、であり、大人としてそれをやっているのは寧ろ恥ずかしい事、であるはず。けれど日本社会ではそれがゆるりと受容・黙認される空気がある。

この、男女ともに互いに、家族的原型エネルギーの縛りから抜けられない、永遠に彦(息子)であり姫(娘)である、という風土的な課題を、ジェネシス層、宇宙のより大きな原型エネルギーのモデルタイプが地上に降りたもの、として、考える試みをしている。

 

〜〜つづく〜〜 (笑)

 

Love and Grace