Energy and Crystals

鉱石とエナジーワークと神智学と、生きること。

エゴをくすぐらないのが、善なるスピリチュアル。

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頼りになるスフィアたち。インスタでも呟いた、偶然にも同じサイズ。運命を感じる・・(インド産ガーネット、セラフィナイト、ガブロ=ミスティックメルリナイト)

イギリスのドラマを見ていて、出て来たセリフ ==「悪が喜ぶのは、善人が何もしないこと」・・・本当にその通りだ。個人的にはそうであってはいけないと思っていて、特に「何もしなくていいよ〜。しないほうがいいよ〜。」という風潮で一人また一人と、第二チャクラでそのアストラル幻惑に囚われてしまう人間の性質が好きではなく、日本人はまさにこの言葉にハマる国民性だとも思った。みんな善人、そしてみんなで何もしない。大きな悪ははびこらないかもしれない。けれど、善も発展しない。。。

「さすがイギリス!」と言えるのだろうかと考えてみる。同じ島国で似ている所もあるけど、行動力に関しては、市民革命は政治レベルで無血で済み、奴隷解放はアメリカのように戦争をせずともやはり議会レベルで実現した。つまり勇気を持って社会を変えようと立ち上がるインテリが居て、議会にそれを持ち込んだということ。そしてイギリスと言えば、ビートルズを、ストーンズを、パンクを生んだ国。・・そして確か黒人音楽やマイケル・ジャクソンへの評価も、本国ではなくイギリス人のアンテナが成し遂げたと聞いたことがある。・・つまり偏見や固定観念で新しい時代の萌芽を抑圧せずに、変化やエネルギーの解放を受け入れる勇気を持っているのかもしれない?仮説。イギリス人は正義感が強いのだろうか?

もっとも、歴史の流れや美徳と言えるかつての要素は、日本も似ていた。世界大戦に負けるまでは・・恐らく日本人も正義感が強かったに違いない。

「悪が喜ぶのは、善人が何もしないこと」

哲学者バークの言葉と言われている。英語では、

All that is necessary for evil to succeed is for good men to do nothing.

これをブログにでも書こうかしら・・でも、ま・いっか。と流していたら、10日と経たないうちに別のイギリス映画を見ていたら、同じセリフが出た!そちらの字幕では「善人が何もしないと悪がはびこる」となっていて。10日のうちに2度も見てしまったので、書いてみようかな?と思った次第。

本当かどうか分からないけど、塩分をとるなと言われて塩分不足になっている日本人は、自分で考える力が削がれているとか、戦後にアメリカから牛乳を飲むように指導され、それにより松果体が石灰化しているとか・・色んな話がある。そういえば、私は子供の頃から塩分大好きで、今も積極的に塩分を摂取(控えたほうがいい、という世間の風潮は全く気にしていない)。ただ、良い塩分しか取らない(化学調味料や食塩は取らず天然のもの)。それに、子供の頃から牛乳が苦手で飲まないようにしている(でも乳製品は食べる)。

まさかそんな理由ではないと思うけれど、集団の中でのいわゆる無気力状態というか、学校(高校生以上にその傾向)でも、会社でも、世間全体においても、自分自身で感じたり頭を働かせたりして、生き方を決めて行くのではなく、空気としては少しモヤモヤっとしたまるで魔法に掛けられるような集団心理に素直に身を預け、そこから自分の人生を決めていくという在り方が、ずっと理解できずにいる。若い頃はそれこそ、パンクのように暴れ出しそうな勢いだった。(実際にハードロックが好きだった・・)

人々が思っている以上に、人間社会の病(やまい・病み=闇)は深刻なのだ、というのが今年、強調されて入ってくるメッセージの中心にある。問題は行動力ばかりでなく、判断力が働かないようになりつつあること。

アルガンザでは、去年からの情報の混乱期から1月、2月と徐々に抜け出し、更に今年とこれからの意味付けを悟るために、3月・4月は象徴的な出来事を見たり聞いたりと続き、だんだん高次の言いたいことが、本当の意味で理解でき、これからの7年の役目とそのための意識や周波数の設定がさらに整理できて、5月に入る頃にはそのためのエネルギー補充で、強化されていく感じがあった。そんな折・・今からちょうどひと月前に、珍しく偶然に人様のお仕事振りを拝見する機会があって、衝撃を受けた。

10年以上前から知っていて、個人的に好感が持てるクオリティの高い良い仕事をなさっている方。が、低迷期にあり、すっかり弱ってらっしゃる様子だった。そして、戸惑っているポイントや起きている現象などに、規模は違えど共感できた。私自身も去年、そんなターニングポイントが来ていたから。何か同じ(ライトワーカーとしての)流れに乗っていると感じた。カオス期の中で、善なるものが、変容期の渦に巻かれてしまっているような。

けれど、自分としては上記のように、集合意識の背景にある善のほうの力の意図することを受け止め、なるほど〜と思ったところだったので、目上の方・尊敬する大先輩でありながらも励ましの言葉と、黙って癒しの波長を送らせて頂いていた。

その後、アルガンザのお仕事の流れは更に、新しいサイクルに適応せよと言われるような現象とサインが続いて、ある種の高次の采配で、シンクロニシティや、逆シンクロと私が名付けている現象が、関係者の人々に一つひとつ説明できないくらいに同時多発で起きているうちに、分かったことが、

(三次元パーソナリティとしては認めたくない気持ちもありつつ・・)

「光の振りをしている闇」と、本物の光 の争いの本格化が起きている。

・・もちろんいつの時代でもずっとあるのですが、先日書いた記事のような今年からの7年サイクルの中で、どうしても避けられないようだと、受け取った。

そして、「争い」と書いたものの、表立ってバチバチッと争う訳ではなく、結果的にそうなるという・・更には、「もう争いはいらない」というメッセージを発するところこそ、本当のライトワーク=人類を進化させるために必要な作業、つまりその「争い」に参加をしない・させないという意味で、「光の振りをしている闇」と言えるという、パラドックス。これを、人々が見抜くことが出来るのだろうか?

今書いていて気づいたのは、まさに上に挙げたイギリスの言葉に照らせば、この潮流の中で何もしない、という人々が多ければ、良い方へ行かないということになる。

光の振りをしている闇 と、本物の光 の争いの本格化

「争い」・・は、誰も望んでいないはず。けれど、通過しなくてはいけないゾーンのようだ。ノンデュアリテイ・非二元のメッセージも、本当に真髄として伝えた人たちが居たところから、またその言葉のもつ力を落としめる風潮もすぐに生まれた気がしている。メタフィジ界でも、学問でも、何でも、誰かが素晴らしいものを高次から受け取って世に出すと、少し時間が経って、その質を(支持している振りをして)落とす逆の動きが生まれる。というか、やっている人々は無意識で、背後でそういう力が働くのだ。

ある方が、去年からの潮流や現象を分析した結果、この変動期のカオスの中で、本当ならば進化していけるはずの要員だった人々でさえ、乗っていけない魂たちの悪あがきに巻き込まれ、足を引っ張られて滑落しているのではないか・・という話も、最初に聞いてから3ヶ月ほど経った今は、「そうかもしれない」と思う。実例をいくつか見てしまった気がしている。

「・・の本格化」というメッセーを受け取ったことで、上記の、レスペクトしている仕事人の方の様子を見に行ってみた。ら、このひと月で良い流れが生まれたようで、すっかりお元気になられていて、安心した。一月前、その方の言葉で、「人々のエゴをくすぐる仕事は、善なる仕事ではない」と聞いていて、そういう姿勢の方が低迷されるなんて・・と、幾らか自分も悲壮感を味わっていたので、その後、持ち直されていて本当に良かった。先方はもちろんのこと、その変化が、自分自身とも時期的に一致していたことにより、やはり同じ時代の変化の流れに乗っていると、確認も出来た。

エゴをくすぐる・・は、電化製品や食産業だったらいいだろう。けれど、メタフィジカルではだめ。なぜなら、エゴセルフをてなづけてソウルセルフに主導権を渡していくように促し導くのが、メタフィジカル(スピリチュアル)の本来なのだから。あらゆる自然療法、ホリスティック、癒し、そして覚醒などの目標を掲げたメタフィジカルな世界の前提は、「人は肉体にあらず。魂=エネルギーである。」

にも関わらず、メタフィジ界に、決して魂の領域には進ませないように仕事をしているスピリチュアル専門家 が沢山いる。繋がっているところが違うのだ!(本人さえ気づいていない人も沢山いるし、元々のメソッドやシステムがそうなっていてそれを採用することで闇側の要員になっている人も)

楽そうに見える道には落とし穴。または、どこまでいってもゴールにつかない堂々巡りの道。

「こういう学びは一本道で、進むか戻るかしかない。」と言うと、不思議なほど反応する人が多い。おそらく聴いている意識の層が違うのだろうと思う。「道は沢山ある」と返ってくる。・・・・・そういう意味ではない。道は確かに地上レベルでは沢山あるだろうけれど、森羅万象・全ての生命(魂)をつなぐ仕組みは宇宙でたった一つしかなく、それが宇宙そのものなのだ。宇宙それ自体と調和するよう自分を純化していく、ただそれだけのこと。

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ソフィアの雫。。Lumiere でUP準備中〜

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INFORMATION

インスタグラム arganza_yokohama でサロン日記、同じくlumiereblanche_shop にてリュミエールの新着、タイムセールなどを更新中。

お休み中のLine メルマガは夏至の日に発行。&Facebookは近日作り直し予定。

Arganza のスケジュール、9月まで更新。UPDATEブログを本日更新予定。

 

Love and Grace!

Amari

「前時代」としてのアトランティス

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 昨日の石巫女アースワーク専科クラスにて、鉱物の種類で取り上げたガーネット各種、ペリドット、ガブロ(ハンレイ岩の一種で石業界の流通名はミスティックメルリナイト)。インスタグラムにもサロン日記として綴りましたが、予想通り、肉体への癒しとチャージ効果が凄かった。それでいて、ライトボディの外側の層や、縦軸、アンタカラナにもエネルギーが通って行き、いつもながら色々なワークが各自に齎された気がする。。翌日の今日も、強めのエナジーワークを受けた後のような余波が続いている。

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いつも二種類のワークをロフトで行っていて、こちらは2つ目の「土地グリッド」。地球上のどこかしらの土地にフォーカスし、当地の悠久の歴史を鉱物界を入り口にして体験しよう、というコーナー。今回は該当する石が少なく地味目な仕上がりだけれど「ギリシャとローマ」。2年前の1期目の石巫女でも取り上げたところ、その時はアトランティスの最末期と言える「ポセイディア」==いわゆるプラトンが書き残している、エーゲ界・地中海あたりにあったと思われる島、ないしは群島の「最後のアトランティス」==を体験していた。

今回、私の現在の個人的な探求がアトランティスに向かっている為、またサロンでもギリシャなどの話題が出ていたここ数日だったので、きっとまたポセイディア?それとも?・・と言いながらグリッドを組んでの瞑想に入ったところ、イタリアやギリシャの石を並べていることを瞑想の20分間、全く忘れてしまうほどに、ポセイディアでもアトランティスでもなかった。。。不思議なことに、別次元の天上界。どうやら、何となく中心点が欲しくて配置した、銀河系の創造の母なる源泉(アルガンザでいう「ディーザ」=Divine Mother)の象徴でもある、アンティークの真鍮の球体が、このグリッドの意味を表していたよう。

生徒さんたちとそれぞれが見た、体験した内容をシェアした結果、リラのディヴァインマザーのエネルギーを注入して、アンドロセラフによる光の幾何学が、アルクトゥルスのテクノロジーも導入して地球を創造している時・・創造の喜び、その世界の周波数の高さ・純粋さ、そして生まれた初期の地球の(物質体としてはドロドロの塊だったわけなので物質次元では勿論なく)「楽園」のような清々しさと優しい光に満ちた、どこまでも自由な世界。。。それを、体験していたような感じだった。

加えて、地球のロゴス意識の女性側面(これをアルガンザでは「白山姫」と呼んでいる)の、これまた現在のシリウスエネルギーではなく、前の地球(=リラのシステムで動いていた)の、ロゴス女神意識、つまりリラ系のそれ・・・が、切り替え後にもシリウスの女神意識ほどではなく圧倒的に少ないながらも、地球の各所に残り、特にレムリアや、アトランティスの途中までは、神殿や聖所のような形で守護されていた。そのエネルギーの脈の、様々な時代のあり方と、自分のソウルのご縁を、辿っているような体験もしていた。それを誘導する、シチリアのサルファー結晶たちの高い周波数がいつまでも余韻として、幸福感として、残るような体感だった。

地球儀も何気に配置して写真をとっていたのが、瞑想を終えて見ると、上記のように地球を創造しているセラフィムたちの目線の中に、リラのディヴァインマザーが、生徒さん曰く「太陽のように降りて来て地球に情報とエナジーを注いだ」ことを表していたのだろうと、後から気づいた。

地球のマントル層は、ペリドットの結晶から、ガーネットへと変わっていき、地球の中心部は白銀で虹色に輝く鉄の液体であるという。今回は(上写真)触れて体験する鉱物のコーナーではそのペリドットとガーネットを取り上げた訳だけれど、それぞれが地球の新しい層(シリウス)と、古層(リラ)を意味しているのではないか。。という仮説も、ジェネシスヒーリング伝授の場でも語っている。ガーネットがリラの時代を体現するというのはもう私の中では確信めいていて、一方で昨日の感触ではペリドットシリウスというよりアンドロのセラフ層を感じさせた。どの地球、どの層の創造にもセラフたちの光は関わっている。

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さてさて、アトランティス

アルガンザのジェネシス概念では、アトランティスの時代設定は、神智学に言う「人種期」による分類に拠っているので、100万年という時間軸になる。そしてつい最近の、1万年ちょっと前まで存続している。アトランティスという時代を知れば知るほど、現在の1万年ほどの「有史の」時代が、それをミニチュア化してこの1万年期を駆け抜けて来ていることを感じる。今の、神智学でいう「アーリア人種期」がいつまで続くのか分からないけど、少なくとも物質界を住処とする人類の時代はこれから終わっていくと想像される。

ここからの話は、神智学を信じるならば、の前提で。時間の区切りも単位も、世界の量子的なあり方、エネルギーの存在密度によって尺度は幾らでも変わるのだろうし、数字としての予測は難しい。けれど、1万年のアーリア期を経たから、これから99万年の時間が私たちにある、と考えるのは愚かだと言える。

それに、100万年のアトランティス人種期の中で、地球全体が壊滅状態になるようなキャタストロフィー、大災害は4度起きているという。4度目が、よく言われる大洪水で、その時点ではすでにアトランティスは全盛期に比べてほんの一地域を残すのみ(上記の「ポセイディア」)だったという。100万年というのは、現在の私たちの物質的な密度から数えるとそういう時間に換算される、くらいの受け止め方が賢明だと考える。アトランティス期の始まり、つまり100万年前はまだ、人類がおそらくレムリアからの流れで半物質であり、いわゆるシェイプシフト状態であったし、それを自覚していたらしい。

物質になってみたり、また非物質に戻って見たりと・・制御が自由自在で、非物質の領域に「本体」があることを、自らちゃんと自覚していた。というかそれが「常識」であったところから、いつしか物質の世界に耽ってしまった。そして五次元領域に戻れなくなった。聖書でいう「楽園追放」。

そんな時代を経て、人類は物質体として生きる今のスタイルになった。ということを、つまり神智学レベルの知識を、普通に学校で歴史の授業で学べるようになる時代がいつか来るかな?

人類は物質界で生きること、おそらく性の刺激などに耽溺し、周波数を下げていくことで、神・つまりたった一つの宇宙の法則で調和しながら世界が存在するという領域へ、戻れなくなった。本来は出入り自由で、体験しながら学ぶ筈だったのかも知れない。

人類のディセンション(アセンションの反対)という選択ゆえに、地球に存在する本来の魂の本拠地、5次元との間に壁が生まれ、物質界で誕生するならば、5次元の記憶を全て失って物質体として生きることを甘受しなくてはならなくなった。けれど、自分が肉体的個人ではなく、魂であるという真実を思い出せる人々も居る。

アトランティスは4度の大災害に見舞われた。その全てが、知識や知恵の「誤用」によるという。そしてその誤用がどこから発生するかというと、様々な問題を掘り下げていくと、全ては「権力」「利己」「欲望」に通じていく。現在の戦争の理由と同じ。いつだって同じなのだ。ある文献では、その「誤用」の奥にある「利己」の問題が、そうではなく神の(あるいは宇宙の)自然秩序のもとで調和をしようという意識のある人々との間で、残念ながら戦いへと発展していく。利己的な意識の人々が、そうなると本来は恵みである、自然由来のパワーを(アトランティスは自然界から抽出したエネルギーで運営されていたよう)利己的な思想を守るべく、そうでない人々との戦いに向けていく。滅亡ギリギリまで追い詰められる原因は、常に、それしかない。

今を生きる私たちの間でも、全く同じことが起きつつある。「魂が人間なのだ」ということを、どれほどの人々が認識し、そのように生きようとしているだろう?スピリチュアルと言われる分野に居る人たちでさえ、自分が魂で、5次元意識で日々の全てを考え、行動し、生きていると言える人は少ないのでは?

自分たちが渦中に居ると、世界の有り様は見えにくいものだけれど、アトランティスに置き換えれば、自分が魂であると思って(そのように生きて)いる人々と、そうではなくここに居る人格が自分である と主張する人々の分離は明白で・・・数で言えば圧倒的に後者が多いのではないかと。壊滅を生み出す潮流と、同じことが既に起きていると思える。三次元や物質界に固執するという「自由意志」の行使が、どこに向かう原動力になっているかが・・視点を持ち上げれば、見えて来る筈だ。

心ある(真に高次と通じ、その目的で動いている)ライトワーカーたちは、故に少し焦っている。エゴセルフである自分の立場や仕事を守るために発言・活動している人々は、その逆のことを発信している筈だ。そして多くの人が、それに騙されている。けれどライトワーカーという自覚さえなくても、必要な仕事を推進し、時代の変換点を呼び起こそうとしている人々は沢山いる。

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アルクトゥルスGATチャージのデュモルチェライトinクオーツ。本日リュミエールにUPします)

アルガンザのジェネシス概念では、主に6〜7億年前の地球から、魂の旅が始まっている。その時間軸に最近は頭が慣れてしまい、アトランティス文明はもう、いまの有史時代と地続きの一つの流れのように見えている。ゆえに、教訓がとても生々しい・・・個人的には、キャタストロフィーは破壊からの再生だから、創造の原理、創造の喜びの観点から言うと「悲しい」と感じる。出来れば破壊のないシフトで人類が、アトランティス(第四)人種期で学んだことを生かし、この第五人種時代を生きて行って欲しいと思っている。

 Love and Grace,

Amari

人はどこまで恐れるのか--「 箱舟の7年」

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最終年度としてのマスタークラス2つが始まった。土曜日、石巫女アースワーク専科でのアルプス水晶たちと、上は翌日曜日の、星巫女プロ専科コース、終了後の空。

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普段はテレビをほとんど見ない我が家は、数年来、食事時にだけ「英語を聞いていたい」という理由で、主にイギリス英語を喋っているDVDを見るのが常。何度かブログに書いた「Game of Thrones」や「ダウントンアビー」(どちらも世界的大ヒットドラマ)が、1話の時間が食事時にちょうど良いのと、超大作なので連続して日常的に流す用途に向いているので、登場することが多く。

前者はアメリカのドラマとして知られている訳だけど、俳優陣や裏方の技術スタッフなどはイギリスが中心。伝統的に歴史物の製作技術がある故だろうし、そもそも監督や原作者にもこだわりがあるよう。架空の大陸ウェスタロスの7王国の攻防を描くドラマで、それぞれの国や地域の役柄により、俳優たちの起用、そこで話す訛りなどを、イギリス各地の訛りに置き換えて、配役しているのだとか。色々なイギリス英語を聴く、それをストーリーとともに楽しめる作品。

で、最近は「ダウントン」を見ていて・・思ったこと。百年前のイギリスの伯爵家を舞台に、使用人や伯爵一家(三人の娘とその配偶者たち)や周辺の人々の日常を描く群像劇。社会的地位や立場も様々で、世代も四世代に渡る。貴賎を問わず、保守的で伝統を重んじようとする人々と、貴族制が崩壊しつつある時代の気風を感じている人々、その両者の間でうまくバランスしている人も、様々。

連続ドラマ故に、これでもかと問題が起きていく。そして解決も起きていく。でもまた次の問題が・・と。或る意味で長編ドラマは一山超えて終わってしまう映画に比べて、人間についての学びのエッセンスがある。自分でも『ガイアナ神謡集』を有料メルマガで出していた十二年前、毎週毎週の配信なので、最後に「ええ?次はどうなるの?」という終わり方をしてみたりする、ドラマ製作者の気持ちを味わっていた(笑)。同作は本当に、連続ドラマ並みに問題、試練が次々と起こる。。。

その、問題を生み出す神?の目線になってみると、結局、トラブルを起こすものは何かというと、天災などを除くと、やはり誰かの恐れの作動による。一見恐れに見えないものも、核を探して行けば、結局は恐れの種がある。人間の本能が恐れを知ったときから、それは始まっている。

ドラマを観る側、小説を読む側(そして書く側も)としては、恐れがあるから人間界のドラマとは展開される訳で、その反動としての喜びや愛とともに綴ることで、人々が感動したり共鳴したりする。ドラマを成立させるためには、恐れとはある意味で人の本性として存在している。が、自分自身の身になって考えてみると、どうなのでしょう。アップダウンや連続して起きるトラブルなどなく、穏やかに突き抜けて存在していることも、この世界で可能。それを望んでいる人や、そこに押し出される、押し上げられる人々も居る。「ガイアナ」の主人公も、最終巻ではそこに抜けていく。もはや何が起きてどうなろうとも、動じない、内なる衝動として何も起こらないという自分が、出来上がっていく。

人はどこまで恐れるのか。。。翻弄され、喜びや感動とともに苦しみや葛藤や摩擦を味わいたいうちは、恐れ続けるのだろう。魂がまだ良しと言わないのか、パーソナリティがまだ、味わい足りないと思っているのか。「恐れは幻想である」と受け入れた瞬間から、世界は変わるものですが、恐れは幻想なんだということを、受け入れられない自分があるならば、そこは見つめてあげて、声を聞いてあげる必要がある。

先日の石巫女クラスの最中、生徒さんが持っていた石井ゆかりさんの「星ダイヤリー」に「宇宙船やノアの箱船に乗り込むような約7年のスタート」との文言があり、去年から何度か書いていた、神智学に言う2025年の第四光線(テーマは統合と調和)の到来に向けて、今年から7年間、その光線を受け入れるための準備が人類の側でも起きるのだろうということ、そしてアルガンザでは昨年3月に迎え入れた10キロのマスタークリスタルが「箱船」と名乗っていることとも通じ、皆で「わあ!」と驚いていたところ。ちなみに、今日、5月16日がその始まりのよう。。石井さんの著書やサイトを、更に見てみようかな。

そして私が思うのは、これからの7年の変容というのは、神智学の7のサイクルを考えると、一年ごとに7段階に別れているのではないかと思う。1年ずつ、振るわれていくような?箱船というのは、そういうことだろう。周波数で分けられていくような。。「高ければ良いという意味ではない」と言いたい所だけれど、宇宙は数字で動くので、やはり数値で道が別れて行く。これを言い換えると、「いかに恐れを削ぎ落とすか」ということに、なるのではないかと。

そうそう 恐れと言えば、4月半ばに面白い体験をして、そのうちに書こうと思っていたこと。用事までに時間が空いたので、ふらっと立寄った本屋さんで、何となくウロウロして立ち止まった場所で、光るように存在が目に入ったのが鏡リュウジさんの「・・座の君へ」シリーズの、なぜか水瓶座と双子座だけが、代表して2冊棚に並んでいる様子。で、前から知ってはいたものの、タイミングというか導きを感じて買おうと思いたち、横で娘が「私(双子座)はもう持ってる。ママが買ってくれた。」というので(笑!よく忘れるんです)、自分の水瓶座を買って、その後用事に出かけた。

とある場所で、呼ばれるのを待っている間、あまりにも「普通」と状況や様子が違うので、さすがの私も不安がよぎった。驚くほど恐れの反応が出て、身体が強張るほど。で、気をとり直して「さっき買った鏡さんの本でも読んでいよう」と、開いたページに出ていた言葉、

水瓶座の人は迷ったとき、『変なもの』を選ぶとうまく行く」

と来た。一人でふっと笑いを漏らし、そうだったそうだったと、我に帰る。実はその施設を選ぶ時に、ネット検索をしていて、いかにもという感じの輝かしい風を醸し出している一見華やかに見えるところが沢山、並んでいて、「一般の人はこういうのを見てそのまま受け取るのだろうな」と達観しながら、自分はネットの仕組みや背後を色々と頭で巡らせ、本物で間違いないところを選ぼうといくつか検索の仕方を工夫し、最後にはオーナーさんの顔で決めるという、いつもやる方法で決めたのだった。

なのに、実際に行ってみると、そのオーナーさんのシステムが余りにも「前例がない」ものだったので、たじろいだ。自分で直観を働かせて選んだはずなのに、それも忘れて。鏡さんの本、ありがとう&うちのガイドたちは凄い。と笑いながら、待ち時間で一冊を読み終えると「多数決の反対を選ぶ」「組織じゃなくネットワークを作る」など、ちょうど自分が昨年から今年、改めて仕事のアイデンティティを模索していた中で、自分の個性という原点に立ち返りながら感じていたことと、気持ちよく合致。

あなたの水瓶のなかには、無限の発想が詰まっている。しかも、ただのひらめきじゃない。宇宙から地球を眺めるような客観性。ゼロから新しいものを作り上げるクリエイティビティ。最初は反対だった人をも惹きつけていくストーリー。

水瓶座が中心にいる世界は、フラットで自由だ。それぞれが自分なりの個性を大切にしながら、手を結び合うこともできる世界。変化は偶然、起きるんじゃない。あなたが、変えるんだ。

「なぜ?」「こんなのおかしい!」そのささやきを、言葉に、形にして。奇人変人? 宇宙人みたい? その通り。だけど、新しい世界の扉を開いて来たのは、奇人変人、宇宙人たちだ。

水瓶座の君へ』(鏡リュウジサンクチュアリ出版)

ここ数ヶ月、まさに自分でも問い直し、確認し直したことでもあった。ウンウンと頷きながら、鏡先生に感謝。多分このシリーズは、どの星座においてもその本質を大事にしていれば大丈夫と、背中を押すようなコンセプトなのではないかな。

そしてその日の、誰もやっていないようなシステムで仕事をしているオーナーさんは、私が咄嗟に発動した恐れのフィルターを通しては「人と違っていてアヤシイ?」だったものが、そのフィルターを外して我にかえると、それなりに自分が選んだだけあって、「すごく風変わりだけど全責任を自分で背負って一人でやってのけている達人」であった。。そう、私がセレクトの指針にしたお顔といえば、やはりお坊さんのような空気。変わっている事を、変わっている事がやりにくい日本という土壌で、それもサービス業なのに、あえてリスクを引き受けて、自分が正しいと思うことを実践している。社会にはおかしな習慣や思い込みや盲点が沢山あり、恐らくそれを一切排除し、一見不器用なようで、結果としてうまく現実を示しているというケースなのだと思った。

私がそのように安心すると、さっきまで人気(ひとけ)がなく静まり返り、外の天気も悪くてどんより暗く、いかにも不安になるような空気だったのが、急に「人の紹介で」という客からの電話や、次のお客さんが次々と。そしてオーナーさんが慕われ尊敬されているのが伝わってくる空気に変わった。外の雨さえ上がってしまった。。。笑

人は恐れを見ようと思えば本当に、無いところにさも恐れの要素があるような現象化をしてしまう。もうあまり恐れることも日常的には無い自分も、この体験は象徴的で、学びの要素を感じて笑ってしまった。この直前に鏡さんの「水瓶座・・」を買っていたことも含め、よく出来ている演出だった。そのオーナーさんも水瓶座かもしれない。業界や、社会の常識がおかしいと思ったら、行動してしまう。ある意味、革命家なのだ。シュタイナー学校にも、確率として先生や親などに水瓶座が多めな気がしている。世間の常識にこだわっていたら、ああいう学校に、それもリスクもある中でわざわざ子供を入れない。。。

今日からスタートするという「箱舟の7年」が、神智学でいう2025年以後の人類の上昇孤の進化、調和的なあり方への社会の変容への準備として用意されているとすると(人類進化を影ながら管理している世界は、実はアストロロジーのプログラミングの『製作者』でもありますから・・)これまで私たちを縛り付けつつ、飼い慣らすことで安住させて来たシステムがどんどん崩れ、本質、個々の力が生きる世界へスライドしていくのでしょう。

意識やエネルギーの放つ周波数で、どの程度、その変容の波に乗れているかを、一年サイクルで分類分けして、7年後に向けて送る刺激を、セクションごとに実験的に変えていく、強めにする、どうにも目覚めなければ大地変などもありうるかも?と、進化の管理者たちは箱舟プロジェクトに着手しているのかもしれない・・・ただ、ここで乗れる乗れないと二つに振り分けられるのではなく、それぞれの箱舟に分類されるのではないか。そしてその軸になるのは「恐れの解放」による、意識指数の上昇であるのだろうと感じている。意識が低いと、第四光線は受け入れられないのだろうし、意識の進化を止めるのは、エゴの抵抗つまり恐れなのだから。

選択に迷った時、恐れからの行動を取っていると、「恐れ指数」の高い箱舟から降りることが出来ず、また違うところに居たのにそこに戻され、同じ恐れをさらに克服のために繰り返し見せられるのかも。。

「あなたの小ささからではなく、あなたの大きさから、行動しなさい」

これはヨーガ哲学の中で見た言葉だったかな。

そこが試される7年である、ということだ。毎年分類されるような感じがあるのは、やり直し、階層の選び直しも7年の猶予が与えられているということかもしれない。何れにせよ、100年に一度あるかないかの、人類進化のプロジェクトの今後の方向性に触れる、7年になりそうだ。

Love and Grace,

Amari

ロゴスとレンマ、二元と三元、からの無限。

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ジェムシリカ・ポリッシュ Lumiere でUP準備中

読書していたら行き当たった「ロゴスとレンマ」。哲学概念で、簡単に言うと西洋的二元論が「ロゴス」、東洋的な三元論が「レンマ」という言葉で表される。三元論といっても、AとBとCということではなく、AとBの間の中間地点を、その真ん中に在る・・在るというよりも揺らいで漂っているAとBの関係性のようなエネルギーを重要視するのが、「レンマ的」であるということ・・なのかな?と自分なりに解釈。

これは、メタフィジカル&エソテリシズム(秘教)的な視点で言う、「レムリア」と「アトランティス」の拮抗からの受容と統合が今とこれから数年のテーマとして強調されるのではないか、と今年に入って感じていることと通じるな、と思った。

同時に、思い出したことがあって・・・まだヒーリングやメタフィジカルを始めていない、年代で言うと2001年〜2003年くらいの間のこと。娘が確か1歳の頃に初めて自分のホームページを作り、一人旅をしていた記録や、それにまつわる古代史や思想系のエッセイ、趣味で書いた論文などを載せていた。当時はブログというものさえまだ存在せず、掲示板・・に、同じ興味を持つ人々が互いに執筆物を読み合い、感想を書き込みしたり、という時代。その頃、私が発表していた古代史や思想や民俗学などで繋がっている方々は大抵が年配のおじさま・・で。

そんな、当時のネット仲間であるおじさまの一人が、「ロゴス」「レンマ」という言葉は使わないものの、西洋的な二元論に中国の思想的背景も含まれるが、何事も中国から文化が入って来ているにも関わらず、日本人の精神には三元論が土着として浸透している。そのルーツはインドである、と論を展開されていたのがとても興味深く、よく覚えているし、以来、ずっと私の中で「インドから中国を経由してやって来た文化は、中国ナイズされている筈なのに、なぜ日本人は自分たちの独自性を貫くことが出来たのか、何がそうさせたのか」というテーマは、日本という集合エネルギーを考える際に、常に頭の中に有った。

同じ構図は、新石器〜青銅器時代に対する鉄器時代、にも見られるし、分かりやすく言えば縄文(とそれと調和的に発展した出雲)に対する弥生、神話ではクニツカミとアマツカミと言ってもいいかもしれない。究極はレムリアとアトランティスであり、アルガンザのジェネシス概念では、レムリアに起きた予期せぬレムリア人種の「混迷」、アトランティスで起きた人類の自由意志による「堕落という選択」ゆえの一旦のリセット後の、大洪水後の今の文明期には、それらの要素を再び人類の中に両方とも発露させ、その拮抗を乗り越えて、自分たちが歴史的カルマを統合できるかどうかが試されている、と考える。

それは、ずっとず〜っと、テーマであり続ける訳だけれど、いよいよ社会レベル、個人レベルで魂に向けて突きつけられているのが、今とこれからなのだろうと。

少し角度を変えて更に気づいたのは、

このところ仏教やインド哲学を覗くことが多い中で、インドの当時すでに出来上がっていた伝統的バラモン哲学と、それに対する思想革命として生まれたシャカ(ブッダ)の哲学(後の仏教)は、この2元と3元のような構図で、対立していたのだということ。バラモン哲学では、究極的な絶対存在、宇宙の根源であるブラフマンがスタート地点としてあり、

創造の降下の中で、意識・アートマンが生まれる。それが肉体を持った人間を顕現させていて、いつか個我を超越し、根源の中へ回帰するという流れが大前提となる。が、シャカの思想は宇宙論を含まず、とにかく「今ここ」に在る我々、それも実体はなく、ただ互いに作用し合う関係性の中で全てが生まれては消えていく・・ゆえにカルマを滅して悟りを開くべし、ひたすら己の精神性の純度を上げていくことを重視している。

哲学の世界でいう「ロゴス(西)とレンマ(東)」のような思想的な構図は、同じインドの中でも正当バラモン哲学と、革命児であったシャカの新しい思想の関係性の中に見られる気がした。そもそも、我々とは何なのか、世界とは何なのか・・という出発点から始めるインド哲学に対し、シャカは始まりを自分・・一人の人間にした。

全ては関係性の中でたゆたう。関係し合うエネルギーとして、在るように「見えている」ものは、関係を様々に生み出して束縛し呪縛しているエネルギー(カルマ)さえ消えて行けば、いつか、在るように見えている状態、つまり存在の必要はなくなり、消えていく。・・・確かにそのようにも感じる。個人的な魂レベルの思想として、自分の中には何が刻まれているのだろう?今回改めて、考えてみた。

全体性への回帰、意識だと思っているものの消滅、これは間違いなく自分の中で「そうだ」と思っているようだ。おそらく過去生で知って来たことなのだろう、当然のようにそう思っている自分が奥にある。が、個としての個我がどこまで遡れるか・・これは神智学で言えば「モナド」ということになるが、モナドとはニューエイジでもよく聞く「ありてある我」のことである。

そんなことを考えて唸っている時、このような記述を見つけた。

中世の哲学者トマス・アクイナスについて

彼が存在を「在りて在るもの」と定義したのは、存在と本質とがそのものにおいて同一であることを表している。

存在が自己のうちに根拠をもつということは、他の何かに「因って/縁って」存在するのではなく、自らに「由って」あること、すなわち「自由」を意味する。その存在は、他の存在との因果や縁起によってではなく、「自己原因」(スピノザ)によって存在する。つまり、存在は存在するが故に存在する・・・

『あいだを開く レンマの地平』(木岡伸夫世界思想社

哲学って堂々巡りな気がする。。でも面白い。

そして自分なりの「存在論」について思い巡らせて見た。エナジーワーカ、ヒーラーとして、神智学でいう「神秘家」つまり感じて体験する方面を歩んで来たことが、こういう時には肌で知っていること、体感として、難しい思考を超越・中和するのに役に立つ。ジェネシスヒーリングの概念や、石巫女クラスで扱う地球史についても、常にそのような手法をとって、最後には「持論」を整理する試みをいつもしている。

インド哲学、シャカの哲学、そして神智学

モナドアートマンブラフマン・・・

すると、全てが拮抗するものでもなく、同じ本質をただどう語るかにおいて、つまりフィルターが違うだけだと感じた。個我を超越し、意識は滅し、全体性の中に帰る。それが無であるか、愛や創造の源なのか、というだけのことだ。そのどちらでもいい。どちらでもあると思える。そして思想家は、その時代のニーズに答えようとする。それが魂が今世、持って来た意味でもあったりする。故にそれを精一杯、シャカもキリストも多くの哲学者も、生きようとするのだ。

いつもそういう意識が自分の中に在る。何も矛盾せず、ある意味で全てが矛盾してもいいと思っている。その奥に在るものを引き出すために、今、自分が何を出しておくか、ということ。存在の根拠は何か、という究極的な問いについては、ただそうであるとしか言えないのだろうし、宇宙の本質を「分からない」と感じる人間の意識は、それでこそ意味があるとも言える。分からないという役目を引き受けているのが、私たち、個々のアートマンなのではないか。。。

分からないという設定の中から、いろいろな在り方を思い巡らす。すると個我が生まれ、個我は世界を生み出し、現象界がフィールドされる。

・・・このところ、第六次元、第六オーラ層(アートマ体)にフォーカスしていくことになり(体験を通じて導かれ)、アトミックプリンシプル=アートマ原理とは何だ?と、考え事をしていたところだったけれど、ちょうど読書をしていた「ロゴスとレンマ」という全然別の入り口から、 何となく辿り着いたような気がしている。

そうそう、瞑想をしていたら、これまでの「5次元スペース」とは違う「6次元スペース」が急に開けて、その高性能・ハイテクノロジーに驚いたと同時に、これまでもちょいちょい、そのシステムはシリウス系やアルク系のワークで必要に応じて開けていたな。。と気づく。よほどにアピールされないと、真面目にアナログに律儀にやり続けるという変なローテク精神がある私。去年の4月に「7次元」というキーワードを受け取りながらも、心も、創造も、ライトボディも、肉体も、意識も、そこに進展させるのに、1年かかった。

今ようやく、全機能が入れ替わったような気がしている。すると・・びっくり!先週あった2件のセッション仕事で、ワークの進め方や周波数の幅がヴァージョンアップしていた。ヒーラー現役はもう辞めるというのに、どうしましょ・・・以前ならばこれでまた、新しいワークを作ったりするのだろうな。けれど。そのためにヴァージョンアップしたのではないということも、同時に悟った。(もういいのだそれは。。というか、今自分の見ているものでワーク化しても、ニーズは無いであろう、マニアック過ぎて/笑)

6次元に立つと、5次元で動いているよりも、テーマである7次元意識がかなり近く感じられる。去年やって来た「箱船」(=アーク=情報)と自ら名乗った10キロのクリスタルが言いたかったことが、全層でようやく足並みを揃えて理解できたという感じがしている。

Love and Grace,

Amari

天と通じ合い、大地に根ざす

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少しお久しぶりの、GAT チャージ。清々しい透明度のブラジル水晶・オベリスク。Lumiere Blanche にアップ待機中。

何年も前から存じ上げている方々も、やはり今年は自分の方向性を問われるような意識の変化が起きている。それ故に、今までやってきた事を一旦閉じたり、小休止していたり。一方で、これまで動けなかった、どうしても表現や行動・発信などのアクティブな方向へ、自分を持っていけない力を内側に感じていた人々が、動けるようになって来ている。というのが、アルガンザの仲間達を見ていて、また日々語っていて伝わってくる。どちらも、然るべき・・時代の潮流、現実世界の奥にある、地球の息吹を感じ取ってのことだろうと思う。

昨日、3年ぶりの「石巫女アースワーク専科」がスタート。初回からスケールとエネルギーが壮大で・・前回は2015年の秋から半年間だったのと、今回石巫女をやることになった理由が直前に理解できた上でのスタート。今もまだエネルギー酔いして、体が余波でジンジン、ビリビリ、ほかほかして・・・今朝起きた時はクラクラして、頭痛も。延髄とクラウンチャクラからかなり情報とエネルギーが入って、早速動き出さないといけないようだ。石巫女は、アースワークというより、ガイアワークと言える。「ジェネシス」以後の今、行う2018年版は尚更に壮大になる予感。

話は変わるけれど、3年前の2015年に、念願だったアーユルヴェーダの集中基礎講座を受けて、そこである意味、開眼したというか、目が覚めてしまった。私自身は、今皆さんに起きているよりも少し早い流れで、今思うとあの時から、去年の「ヒーラーを辞める」宣言、そして今の、アルガンザの作り変えに向けての潜在的な流れが始まっている。今日のこの話を、ずっと書こうと思っていつつも、タイミングがいつもズレて来た。が、昨日の石巫女と、そこまでの2週間くらいかけて動いていた「新しい時代の潮流」を感じるエネルギーに載せて、今日、書いておこうと思う。

実はアーユルヴェーダをかじったのはその時で3度目の正直、だった。まだ奈良に住んでいた頃、大阪の先生、奈良の先生の講座を何度か受けていたものの、色んな意味で時期ではなかったようで、その時見た現実世界としては進展させることが出来なかった。ヒーラーとしてひた走った数年の後、2015年の春ころに再び急に気になりだし、久しぶりに先生を探し、朝から夜までの集中3日間コース、また別の時期のボディワーク講座を受けた。それが、今に通じる変換点となった事が、3年を経てみて冷静によく俯瞰できる。

若い頃からインド哲学やインド伝統の様々に、世界的なルーツが全て通じている気がして、更には宇宙の真理も詰まっている、ということはなぜか感じていた。けど、「難しすぎて、今の自分にはとても扱えない」と思って来たのが、「そろそろ、いいのでは?」と感じてのことだった。エナジーワークというジャンルに「奉仕」することに専心して来た結果、見える現実がようやく進化、違う層へと上がれたのでしょう・・その時のクラスは10名前後の女性ばかりで、志の高い人々ばかり。先生にとっても特別感があったようで、最終日の終わりの一時はとても感動的な空気だった。

かつて・・・21歳の時に、高校生の頃から憧れていたニューヨークへ、漸く行く事が出来た時に、別の土地にいることで、日本列島とそこに乗っかっている日本人の集合意識を、物質的なエネルギーの塊として「見えた」瞬間があり愕然とした。「普段、あんなモヤの中に居るの!?やだ、帰りたくない・・・」と。それと同じような事が、違う分野の志高い人々の中に入った時、起きたのだ。

ジャンルの良し悪しを言っているのではなく、先生は勿論のこと、その時にクラスとして集まった人たちが(ヨガの先生が多かった)意識の高い人々だったからだと思っている・・・(誤解のないようお願いしたい)。参加者の一人の方が、最後に言っていた。「今回が初めてではなく、私たちは前世の何処かで、同じ事を学ぶために、同じようにご一緒していたと思う。」・・私も本当にそう感じていた。いわゆる「スピリチュアル」に属してしまう(笑)自分の立場は、そのクラスではちょっと異色であるけれど、私の内側にあるものは、皆さんと全く同じで、かつ、普段そのつもりで仕事をしていると、ヒーリングサロンとしては何か、噛み合わないものが生まれるため、自分にとっては「どうしたものか」と当時、感じていたことでもあった。

クラスの中で一番盛り上がったのは、アーユルの各論よりも、サーンキャ哲学やヴェーダーンタ、宇宙の始まりから元素、世界、人間ができていく創造論宇宙論。そして運命論だった。人は何のために生きるのか?それは最初から決まっている。天のエネルギーとともに正しくあれば、自分の心を磨き続ければ、それ(天命)は自ずと分かることであり、自然とそこに乗って行くもの。あとは、流れに乗るだけ。

これは私が20代の10年をかけて信仰していた法華経の考え方ともだいぶ違っている。法華経を含む大乗仏教はもう少し献身的・自己犠牲的で、原罪意識を伴う。=信仰とはそういうものかも。。原罪意識を伴うと、どうしても痛みが生まれる。それをやっていないと自分はダメだ、という。まだ癒されていないものが多い人にとっては、それは苦しみの元となって、何のための信仰かわからなくなってくる。

故に、10年間、水を被ったり、山に登ったり、先祖供養などをしてきた、まだ若かった私は、過去生のサンゲのために信仰と巡り合った、来世もまた・・という思想のなかで置き去りになっていつまでも傷ついている自分には、もう限界であると感じて、信仰をやめた。そんな時、たまたま幸運にも出会ったヴィジョナリーの方に「チベットの過去生で仏教に対するカルマがあり、それが終わった」と言われた。カルマ消化のために、私は19から29歳まで、仏教の信仰をしていたのか・・そして、必要な償却が成立したということか、と。

3年前にアーユル講座で体験した、ヒーリング・スピリチュアルという世界で作られている、そのジャンルの集合意識のグラマーの靄(もや)を直観するということ。あそこから既に、去年の今頃、「ヒーラーを辞める」と急に決めた瞬間への布石は、始まっていたということだ。ただ自分では全て無意識だけれど、実際に辞めるに当たって、これまでの全てを集大成し、のちの世代に繋ぐことと、自分の仕事を形に残す必要があり、それが「石巫女」「星巫女」などのマスタークラスと、「ジェネシス」だったということだ。・・グラマーの霧が晴れ始めてから、実際に抜けきるには3年かかった。

やるべき事をやり切らないと、抜けられない。過去にも「ヒーラーやめようかな」と試みたことが1度あったが、とんでもなかった! 抜けようと出口に向かったら、そこにお化けが待ち受けていて、戦わなくてはいけなかった。戦いながら、出口を塞がれたので、元居た場所に戻り、さらに上に登った。それがこの(今の横浜のサロンを開いて以後)6年のこと。当時の高さで出口を求めては、きっと違うところへ行ってしまったのだろう。もう少しちゃんと上に登って、カルマ償却をしてから、もっと高い層で出口を見つけなさい。・・私の魂はそう言っていたのだろう。

この1年をかけて、自分に起きていることをずっと感じようとして来るうちに、これは「仏教修行10年間」に続く、「ヒーラー修行12年間」の終焉ということだと、意外とシンプルにまとまった(笑)。任期満了、またはカルマ償却。

これからまた10年くらい、違う「修行」に入るのでしょうネエ・・・笑

最初の修行時代と、2つ目の修行時代が、気づいたら融合しつつある今。意識の学校や、プロテクション専科で仏教を扱ったり、インド哲学をカレッジ、マスタークラスで取り入れたり。自分が勝手に区別をしていただけで、もともと、ヒーラーとしての自分には、その前の仏教修行時代が、大いに生かされていた。あの頃、まだ若かった自分がぶつかった壁の色々も、今ならば意味がわかる。年長者や先人たちが、なぜそのような各論を設けていたかの意味が、人間の本質をヒーリングや神智学で見てきた故に、理解出来ている。なのに当時の自分は、未熟ゆえに尖って見たり、大人たちを批判してみたり。その人の「出来具合」によっては、あの信仰生活によって、幸せな毎日を暮らして人生を終えることだって、できるだろうことが今では分かる。

それとよく似たことが、「ヒーリング」「スピリチュアル」に対して、自分の中でこの数年、起きていた。し、これからも暫くは続くだろう。過去の修行時代と、自分の人生を統合できた今見ようとしている現実は、すべての要素から「これが自分の道」である事を常に設定でき、日々、まっすぐにそこを歩き続ける事。

ヒーラーを始めて最初の4〜5年は、それまでの人生への記憶が薄く、執着もないので過去のものをすべて売りに出し、人生でやりたいこともなくなり、ただ高次と繋がってヒーリングサロンをしていれば良いという状態になっていた。そこに最初の目覚めの一撃が来たのが2009年。・・この時の選択で、少し「人間に戻った」。

人間性を保ちながら、目的や意図や世界への貢献という意思を持ったワーカーになって行くために、恐らく、その選択をして、そうなるとかえって苦しさが生まれるので、神智学が教科書として必要となった。ただ高次の光のチャネルであればいい、という状態から、目的を持ったヒーラーであるという道に再び乗ることは、むしろ苦難を選ぶようなもの。けれど自分さえ、そして自分のサロンのクライアントさえ幸せで高周波であれれば良いということではない・・と、自分の魂が選択をしたのだと思う。

後半のヒーラー時代は、ゆえに「戦う」要素が強く、それは神智学が宇宙的な意味とメカニズムを説明してくれた。そうして、かつての信仰の世界で年長の人々が言っていたことが、ようやく身を以て理解できた。自分さえ、自分の世界にやってくる人々さえ、幸せであれば良いという設定で居ると、見えないことが膨大にあったのだ。まずは自分が癒されなくてはならなかった。そこから少しずつ、「本当の人間」=「大人」になって行く。

癒され、安心したら、もうそれで終わり=続きは来世 にして、「大人」にならずに生きて行くか。それとも、今世、魂が決めて来た事に着手するのか。その、魂つまり高次からの問いかけは、皆にやって来る。一度ではなく何度も来る。選択するその都度、世界が別れて行く。量子物理学的にいえば、そういうことだ。自分が乗っかる世界は、選択のたびに波のように上がったり下がったりする。

時折、買っている雑誌「ヨギーニ」から、引用させていただく。

私たちが目指している、「ヨギーニ」(ヨガをする女性)とはどんな人?(14年前の創刊時に設定していた「ヨギーニの条件」を編集部の皆さんが2017年に再検討した結果、「理想像は変わっていない」事を確認した、という記事)

ポジティブであること、そして凛としてそこに存在する安定感。そういったものに喜び、感性も豊かになって行くのに気づく。手の先から、足の先にまで神経が通り、腰が安定して 背筋はすうーと伸びて、その上に頭がある。宇宙と地球の真ん中を結んで、そこにまっすぐ、すくっと立つイメージ。そして、目に見えない自分の存在を確かなものとして感じ、次を求めるように・・

・・もちろん内面からにじみ出てくるものがあるからこそ。ポーズができなくても、瞑想をしたことがなくても、ヨガと言われる何かをしたことがなくても、その存在の仕方が「ヨガ」であればいい。そして大切なのは、自分と向き合い問い続けること。。。

 『ヨギーニ 』枻出版社 vol.60 「新ヨギーニの条件」p24-25 よりお借りしました。ありがとうございます。

 これに尽きるのではないかな〜と、この特集を拝読した時、思っていた。ジャンルはなんでも良い。その存在の仕方が「ヨガ」であればいい。

子供がお世話になっているシュタイナー教育についても、同じような事を思う。シュタイナーは人間を魂として考える。12年のシュタイナー教育を終えて卒業する18歳のころには、子供達は、フワフワした浮世離れした若者ではなく、宇宙と通じ地球とも繋がり、さらには世界のことも自分の一部として考えられる、縦軸だけではなく横軸も持った、しっかりした若者になっている、と、娘の先輩たちを見て思う。

そうなると、高校を卒業した後のことについて、「世界のために自分は何ができるだろうか」とごく自然に、考えているような存在になっている。これは、エネルギー的に自分軸がしっかりして、グラウンディングとセンタリングが確立し、かつハートや直観(サードアイ、松果体)もちゃんと使っているからこそ、だと思う。幼少期には活動している胸腺(ハートチャクラに対応する分泌腺)や松果腺が、むしろ現代社会で物質人間として育つことで、不活性化してしまうのが一般社会の現状だ。

私はエネルギーワークを通じて、この「ヨギーニな状態」を目指していけるよう、語り続けたのが、「ヒーラーズカレッジ」であったし、これからも「エコール」を通じてその活動を続けて行くつもり。重要なのは意識であり、実際に軸やエネルギーが整っていることであり、そこから生まれる現実や、日々を創造して行こうとする意欲、それを世界と分かち合おうとする姿勢、であると思う。普通の物質人間に一度なってしまった人間が、天地と繋がり健康的に魂を生きて行こうとするには、癒しと浄化と活性と意識変容を実践して行くための方法論が必要だ。アルガンザではその方法論の中心部に、私自身がそれらのプロセスを辿ってくるのに助けてもらった、エネルギーワークを据える、ということ。

「ヒーラー」=癒し手として、人々と接することで生まれる世界観では、それは今の所難しい部分がある。既存の「スピリチュアル」ジャンルのエネルギー背景と、そこを入り口にしていらっしゃる人々が求めるものと、時にズレが生じることがある。時代が自然に変化をもたらしてくれると言う人もいるかもしれない。けれど、人類史のどの時代を見ても、「自然に変わって行く」なんていうことはなく、活動し、働きかけ、発信する人々からの刺激があり、集合意識が変化して行くもの。そして自分がその流れの中で、何をしたか、あるいは何もしなかったか、によって・・・自分が乗っている現象界の層は常に、波のように変わっていく。

ヒーラーとは、日本語で言えば「治療家」

アルガンザで関わって来た人々の中でも、自分がヒーラーなのか、何なのかと悩み出している人たちが少なからず。私自身もこれは、長年常に頭の中にあるテーマだった。「治療家」なのか、または「教師」なのか。その両方か、あるいは別のものなのか。

「スピリチュアル」の括りの中に在ると一般的には考えられているレイキやエネルギーワークの世界を、今後どう扱って行くか、は、それを実践している人、学んで来た人それぞれが、自己に向き合い、答えを出して行くことになるだろう。エナジーワークが「ヒーリング」というジャンルの枠を超え、あって当たり前のものになる。ヨーガがここまで、普及したように。ヨーガはヨーガで、スピリチュアルと同じで様々な層が混在しているように見えるが、きっとそこでもこれから、変化が起きてジャンル全体が変質して行くような動きが生まれて行く(あるいはすでに生まれている)のかもしれない。

そんな時代が来ている、と感じる2018年の春であ〜る。

Love and Grace

Amari

秘密の花園-- 再生の力

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インスタグラムにも乗せていた、近所の八重桜。初めて出会った2年前、見たこともないような美しさに圧倒された。今年もタイミング良く、満開の様子を見ることが出来た。白とマゼンタが同じ木に咲いていて、さらに青空とのコントラスト・・・ライトグリーンの若葉も加わって、何とも女神的。

先日書いた「敬愛なるベートベン」と、同じ監督作品ということで久しぶりに見ていた「秘密の花園」。製作総指揮という形で巨匠・コッポラが関わっている。原作は有名な児童文学で知っている人も多いとでしょうけれど・・ざっとストーリーを。

インド駐在イギリス貴族の家柄で、お姫様のように育った、けれどパーティ三昧の両親には放っておかれ、「泣いたことのない」少女メアリー。インドの地震で両親が亡くなり、イギリスの親戚の伯爵家へ引き取られることになる。そのクレイブン伯爵は愛する妻(メアリの母の双子の妹)を数年前に亡くして以来、心に愛も希望もなく、ほとんど鬱状態。実は妻が残した息子コリン(メアリの従兄弟)が居るが、病気だからと部屋に幽閉状態。コリンは生まれて一度も歩いたことがない。

コリンの存在はメアリには隠されていて、屋敷は伯爵の心象を表すように重くて暗い空気に包まれている。メアリの叔母が大切にしていた花園は、あるじの急逝により扉が閉じられ、鍵がかけられ「封印」され、植物たちは枯れ果てている。

ポニーに乗った近所の庶民の少年ディコンは、まるで小さなお爺さん、長老のような存在感を見せる。メアリと、コリンをさりげなく支え導き、メアリは少女の中にある母性を開花させ従兄弟のコリンを癒し励まし、大人たちに「封じられ」部屋から出たことのない、歩いたことさえないコリンを外の世界へ。。。大人たちの手厚い配慮で歩けなく「されていた」コリンは、メアリとディコンの、知識ではない直感的な導き(=子供ゆえの純粋さだからこそキャッチできる魂からの知恵の降下とも言えるだろう)で生命力を取り戻して行く。

彼は実際には病気ではなく、大人たちの知らないところで、歩けるようにさえなって行く。ディコンは上流階級の姫・王子であるメアリやコリンが負っている傷や重さとは無縁で、ただまっすぐに大地のように、太陽のように存在している。自分の欲望や不満などはなく、メアリ、コリン、伯爵が癒されて行く過程を遠い位置から見届けると、満足したように微笑み、ポニーに乗って去っていく・・不思議な少年だ。

少年の脆さをコリンが、少女の強さと母性をメアリが、それぞれの双子の母からの流れを象徴するように体現する。この二人は同じように傷を追った、貴族の少年と少女。対のようでもある。そして、同じく病んでしまった伯爵・・・コリンの父親は、メアリとの出会い、彼女が中心となって死んだ花園を蘇らせるという子供3人の密かなプロジェクトにより、長い鬱状態から目を覚ます。

コリンとの親子の再会。そう、同じ屋敷にいながらも、同じ世界にはいなかった。伯爵の時間は妻の死とともに停止し、コリンは封じられ、花園と同じく生命力を無いものとされていた。メアリという女性性、母性が入って来たことから、死んだ花園は蘇り、伯爵は目を覚まし、コリンはようやく生きることになった。その時に初めて、複雑な想いが入り混じったメアリは涙を流す・・・初めて泣いた。伯爵は長い間忘れていた笑顔を取り戻した。

子供たち3人の手で、再生された花園に満ちる新たな生命力。行き交う動物たち。生きるということ、命、育む力、育つということ。太陽、笑顔、そして涙。その当たり前のような営みが失われていた伯爵家に、全てが戻った。使用人たちも、喜ぶ。

使用人の人々は、結局は主人、ロゴスである伯爵とその息子のコリンの指示を受けるばかりで、女主人を失って以来、生命活動を止められた屋敷の陰鬱な空気をただ受け入れて、働き続ける。ロゴスである伯爵を目覚めさせるには、メアリが必要だった。女性性、女神の再生の力、豊穣の力が、少女であるメアリから発動したのだろう。

女主人の死により封印された花園、伯爵の心、息子であるコリンの生命力。

メアリの両親の死という現実からの、彼女の旅の始まり。逆・英雄譚。世界の神話には度々、少女や幼い姫が冒険を強いられ、難局を打開していく物語がある。伯爵、コリン、花園、屋敷の人々・・・が、その良き影響を受け、命を取り戻していく。

ただ、メアリの背後には、それらの成り行きを全て見通しているような不思議な少年、ディコンがいる。動物たちとも話せるようだ・・・まさに長老。アーサー王伝説でいうマーリンの少年版のよう。さらに上の階層のロゴス、といったところだろう。

先日触れた「青い鳥」と同じく児童文学が原作ですが・・・子供の頃も、大人になってからも、小説や文学作品を読むことがほとんどない私なので、映画の美しい表現に感じ入るものがあった。皆さん、とうによく知っているお話であれば申し訳ないなあと思いつつ。。。

・・・・・・・・・・・

最近は、非二元、ノンデュアリティが話題として流行りのようだけど、では二元とはなんぞやというと、善悪などのモラリティではなく、生命を生み育む力と、その逆、枯れさせ萎えさせる力、と、アルガンザでは定義している。闇の力というのは、本来そういうものであると。闇=病み ゆえに。どうせならば育み、元気にしていく道を選択して行きたいもの。「愛」も然りで、活性し、癒し、アニメイトすることで創造を行っていく、維持していくのが宇宙的な愛のエナジーであるし、それはただ一つの宇宙の法則であると言える。

Love and Grace,

Amari

イシスとオシリス

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 「イシス」と「オシリス」。どちらもアルプス水晶。

数年前に、ちょうど感じていた秘教的なテーマと絡めてこの二つのアルプスの石をセットで迎えて。あの頃、一段落したと感じていた二次元レベルでの地球創生期、特に「イシス・オシリス」と私が呼んでいるエネルギー、出来事が起きたアトランティスの人類の誕生と選択、の部分。5次元的に、今年の1月後半からアルガンザでは動き出して、先週末の「ジェネシスヒーリング」伝授4デイズで、ひとまず区切られた。

ここで言う2次元とは、元はアースワークやセッションやチャネリングで得られたものをベースに、文章や思想や歴史的にざっと理解し、把握できたと言う意味で、5次元とは、アルガンザのセッションやジェネシスの場に絡めて、クライアントさんや生徒さんを通じて、多次元的にその情報が開き、生きたエネルギーとして動き、それを我々がキャッチ、理解し、現実を通して動いていたものをエネルギーワークにより対応できた・・・それにより、テーマは次の段階へ進む、という多次元ヒーリングとアースワークで対応するというレベル。

時代の流れや私たちのエネルギーシステム、周波数、意識の成長具合によって、その時々、少しずつ来てくれているのが分かる。当事者的ではない情報としてキャッチし、当事者として味わい、解放するために「役作り」を伴う現実の動きがあり、そして多次元ヒーリングで対処。・・・ここから先、いつものアルガンザの仕組みからすると、より大きなソウル集団、さらに大きな、と波及しながら同じようなテーマが伝播して行く。

自他ともに認める?フライング気味の走者なので、というかそれが自分の立ち位置だと認めていて、自分の前の流れというのはほとんど全く見ていない。情報収集を同じ時代からはほとんどしていなくて(仮にしたとしても「それは違う」という事実に気づくばかりで)、むしろ、同じようなケース、時代の流れのパターン、高次や私たちのソウルシステムがどのように連動して地球が動いて行くのか・・を、過去に刻まれて残されている先人たちの仕事や、歴史そのものから、参考になるものを得ていく。

「レムリア」も「アトランティス」も、過去ではない。人類が非物質な境界から、物質化して存在するようになったその時代の変遷は、これから、まだアトランティス人種期を引きずっている今の人類(神智学では「アーリア人種期」の始め)が、物質的・利己的という意味で(神智学的に言えば)最底辺をマークしていたアトランティス時代から、今度は上昇孤の進化段階へ入って行く時、もう一度、アトランティス→レムリアへと、逆回しで体験して行くような流れが、これから来るのだろうと思っている。

そうかと言って、それらの時代を懐かしむでも、逆に忌み嫌うでもなく、今を生きる私たちの中で、アトランティス→レムリア という、かつて辿ったのと逆のエネルギーや意識を体験して行く行程が来るのだろう。そこに、これまでの歴史を刻んで来ての今の人類、という「現実=三次元」と、5次元つまりエネルギーやカルマとしてのアトランティス、レムリア が、統合されて行く。

一見、歴史を逆に辿って行くようで、進化に向かって行く。そういう時代が、これから数十年か、数百年かけて動いて行くのではないかと「ジェネシス」をまとめて、今、感じている。

・・・これを、すご〜くキャッチーに分かり易く言ってしまうと、「光と闇、分離、という二元性を超えて、ワンネスへ」

という、ニューエイジで当たり前のようにずっと言われている表現になる(笑)。ならばそれでいいじゃん、という訳にはいかないのが、物事をアレコレと真面目に考えてひっくり返してみたり、「そもそも二元性とは・・」「人類の進化とはなんぞや」とやらずにはいられないタイプなのである。。(笑)。。けれど、「スピリチュアル好き」な人々の趣味の世界のキャッチフレーズ、として片付けられない為には、説得力のあるものを求めて行く態度が、不可欠であろうとも思ってのアプローチ。

歴史や思想史・宗教史を見ていると、民衆レベルの情報の取り扱いと、権力者(=当時はそこに知識人や賢人たちが集まる)の周辺との、常に二層構造があり、民衆はただ押し付けられて鵜呑みにしている(自分たちも頭の中身を委ねてしまっている)時代もあり、一方で安定した権力の元では学問や芸術は華々しく展開する。が、権力者同士の争いなどで世の中が荒れると、民衆にも火種が行くので、日々の生活の危機をまともに痛感した人々はようやく、自分の頭と行動力で、何か違うものを求め始める。

そこに、民衆のために立ち上がる、世の中を見据えた天才肌のカリスマ宗教家のような人たちが登場し、命がけで活動しながら、心の平安を求める人々のニーズに答えて行く。権力者たちは、自分たちが大事にして来たものが、思想レベルから崩れて行くことを危惧し、大抵の場合はそんなカリスマたちを弾圧する。でも大抵、その動きは止められない。市民たちが本気を出せば・・・数で勝ってしまうから。

そうして時代が流れ、思想も流れて行く。

現代社会は、幾度ものこうした思想とエネルギーの錯綜を経て、かつての民衆=市民と、権力者・知識人・文化人などの壁がなくなるところまで、人類は歴史を前に進めて来ている。今の思想的な主役は市民、つまり私たち一人一人であって、昔のように封建制の領主や専制君主たちに、自分たちの運命を委ねている訳ではない。それに加えて、情報化社会になり、ほとんど全ての知識や情報が開示されているような状況。

誰のせいにも出来ない。この時代背景の中で、アトランティス・レムリアという逆進化が、実は、本来の上昇孤の進化に乗って行くことであるという流れが来ている。

今年の1月に、アルガンザとしてはレムリア=自然界=調和の崩壊のテーマがこれまでに無い強さで来ていて、それが1月半ばで一段落。すると、1月後半には「なぜ調和の世界を当時の人類は否定し、自ら周波数の低下(楽園追放)や分離、二元性のある構造を生み出したのか」が、情報として開示されて、その中で様々な関わり方をしたことのカルマが、今月初めの「ジェネシス」伝授では浮上していた。それにより、2012年末、「イシス」のキーワードで始まったジェネシス(当時は創世記、と呼んでブログに刻み、カレッジでもシェアして来た)は、再び「イシス」のキーワードにより、一旦の情報として、螺旋で一周したように、締めくくられた。

体感としては、これが・・・現実の、より大きなフィールドで、つまり全世間的に、起きて行くのがこれからの数年なのではないか、と感じている。体験と消化なくしては、次の段階に進めないのが人間のエネルギーとソウルシステムの法則。

イシスとオシリス。光と影、女性性と男性性。このテーマを超えて行くことが、それらの分離が始まった(それを人類が選択した)アトランティスのカルマを解消し、調和を戻す(レムリア)という流れを生み出す。とはいえ、それは単なるレムリア回顧、回帰では当然なく(そこには戻れない)、物質体として存在する人間社会が、非物質のセンスを取り戻し統合して行く・・・5次元化。これをずっとずっとずっっと・・・やっていくと、また再び非物質領域で生きることになるのだろうけれど、今とこれからは、その上昇孤に人類が乗れるかどうかという、それを選択できるか、という、分かれ目のように思う。

封建制や絶対君主の居る時代の民衆たちと違って、私たちは自由市民である。けれども、いまは情報化社会やメディアそのものが、絶対君主のような存在と言えるかもしれない。そこに委ねてしまわずに、エネルギーと意識を常に自分自身のものにしていくことが、大切だろうと。

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ジェネシスヒーリング第二世代の伝授セミナーを終えて、2018年度に入ったこの一週間。新しいスクール「エコール」の「インテンシブコース」が始まり、また昨日は今年だけのスペシャルなコース「セルフスタディ特別クラス2018」のお二人が、無事に最終のスクーリングを終えたところ。皆さんと共有する時間の感触が、やはり明らかに新しいものになっている。これが2018年の感触なのだろうと。

まだうまく言葉にならないけれど、ある意味で「ほかに権力者・権威がいる社会の民衆」のように、誰もが無意識ながらに色々なものにとらわれ、怯え、動けなくなっていたのが今までの時代ではないかと思う。もう既に無い支配のエネルギーを、親や会社や周囲の人々に重ね、動けなくなっている。それ以上、行動できない、考えられないのを、何か・誰かの存在と重ねて。(私自身も含め)

そんな幻想のベールが、今年の2月くらいから剥がれていって、自分の責任をもうどこにも預けることが出来ないというエネルギーに、切り替わっている気がする。そこから、各人がどう、この2018年の新しさをまとめていくか。それが具体的に、創造というエネルギーに結実し始めている人たちも居る。変わり目には、自分の中からたくさんのお化け、ゴーストが現れてくる。それに騙されず、創造に向かっていくことに、この変化のエネルギーを使っていく人が増えたらいいと思う。

Love and Grace,

Amari